このレビューはネタバレを含みます
「千早振る 神代も聞かず竜田川 から紅に水くくるとは」
《世の中には知らない事がたくさんあり、一歩踏み込むと、そこには「好き」になる物もたくさんあります。この映画は、その「好き」の扉を開ける作品になっていますので、映画を観て、ぜひ知らない事にも興味をもってくださるよう願っています》と原作者の末次由紀は語っている。
本作で描かれている「競技かるた」は、読み手が読み上げる百人一首の「上の句」を聞いて、できるだけ早く「下の句」の書かれた札を取るというルール。
そのために、100種類の歌を全て覚えることが必要になる。
競技する二人は、まず100枚の札を裏向けにしてよく交ぜ、互いに25枚ずつ取り自陣に並べる。
残りの50枚は箱にしまって競技には使用しないが、読み手は100種類の札を読むので、使わない札は「空札」となる。
自陣の札を取ったら一枚減り、敵陣の札を取ったら相手に札を一枚送り、自陣の札を一枚ずつ減らしていく。
読まれた札が無い陣地の札に触れてしまったり、空札が読まれたのに札に触れてしまうと「おてつき」となり、相手側から札を一枚送られてしまう。
こうして、自陣の札を早くゼロにした方が勝ちとなる。
読まれた札のある陣地であれば、どの札に触れてもよい事になっているので、勢いよく札を「払う」ことも出来る。
団体戦の場合は5組同時に試合を行い、3勝した側の勝ちとなる。
1首=31音で描かれた百人一首の歌たち。
それらが厳選され、100首の「千年ものあいだ愛され続けた歌」の中から、禁じられた恋の相手を想って在原業平が詠んだとされる「千早振る 神代も聞かず竜田川 から紅に水くくるとは」の歌にちなんで本作には『ちはやふる』のタイトルがつけられている。
この歌には「私の燃える想いが、激しい水の流れを真っ赤に染め上げてしまうほど、今でもあなたを愛しています」という切ない恋心が込められている。
そして、千年前も今も「人を愛する気持ち」には何も変わりはない事が判る。
今、世界で聴かれている歌の多くがラヴソングであるように、百人一首は、100首のうち43首が「恋の歌」である。
本作は「小倉百人一首」を用いて、全日本かるた協会が定めた規則に則って行う「競技かるた」において、男性の名人戦、女性のクイーン戦の予選を勝ち抜き、さらに前年の優勝者との対戦に勝利し日本一となった者に与えられる称号「クイーン」を目指している少女「綾瀬千早」を主人公とした青春群像物語。
千早は、自分の名前で始まる「ちはやぶる」の札を得意札としており、一番好きな札でもある。
主人公「千早」と、作品のタイトル『ちはやふる』に使われている小倉百人一首の撰歌の「ちはやぶる」とは、勢いが一点に集中している状態=「勢いの強いさま」という意味があり、「神」の枕詞としても使われている。
作者の末次由紀は本作を《「ちはやふる」の本当の意味「勢いの強いさま」を、主人公が知り表現していく物語》と語っている。
一般的には馴染みが薄かった「競技かるた」=「畳の上の格闘技」の世界と、素晴らしき「和歌の魅力」と、十代における「恋愛・友情・別れ・再会・夢・憧れ」が詰まったストレートな青春を真正面から描いた原作漫画。
その物語は「熱血スポーツ漫画」と評されるほどの熱い展開で、「手塚治虫文化賞マンガ大賞」最終候補に選ばれ、「マンガ大賞」受賞、「このマンガがすごい!オンナ編」第1位、「講談社漫画賞少女部門」を受賞し、単行本の発行部数は1600万部を突破している。
「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」
「競技かるた」の大会は、長時間の連続試合になる場合もあり集中力を切ることが出来ないためスタミナと体力が必要不可欠となる。
そのため、初心者は指先が麻痺して自由が利かなくなる場合もあるほど過酷な競技なのだ。
原作漫画への愛がギュッと詰まった実写映画版の本作は、かるたの試合を『るろうに剣心』の様に「時代劇の殺陣」=「静と動の息遣い」を意識して撮られている。
絶妙な間合いで刀に手をかけ向かい合う中で、一瞬の油断と焦りが命取りになる緊張感。
ほんの数秒の「間」がまるで永遠に感じられるほどの静寂の中、緊迫した睨み合いの後、一瞬で勝負が決まる。
何度か描かれる試合の場面はどれも、観ている我々観客もが手に汗握らされ、まるで自分が畳の上にいるかの様に気が抜けない。
そして、実写映画版『バクマン。』で炸裂していた「マンガ愛」の様に、本作は「競技かるたへの愛」と「百人一首への愛」にも溢れ、それら二つの気持ちが眩しいくらいに火花を散らしている。
和歌の中には、一つの言葉に二つ以上の意味を持たせる「掛詞」というテクニックがある。
本作も、原作漫画に出てきた印象的なセリフを脚本に落とし込む上で「掛詞」をいくつも織りまぜ、隠された意味に気付くと二度三度と違った楽しみ方ができる構成になっている。
他に取り柄も目標もなく、ただ自分の「好きなもの」だけに一点集中する青春の中で、自ら「部」を作る為の「部員集め」や「優勝」を目指して奮闘する主人公。
その真っ直ぐでひたむきな姿や「情熱」は、高校でボート部を立ち上げ大会にまで出場した女の子を描いた映画『がんばっていきまっしょい』を思い出させられ、涙が溢れてくる。
幼なじみとのノスタルジックな過去の想い出の場面や、友達でありライバルであり「憧れ」という存在の複雑な想い、その唯一無二な存在の儚さ、大切さ、その大きな「壁」を乗り越えるために立ち上がる姿、そして、1秒間に1000コマの超スローモーションが多用されたスリリングな試合の場面などは、映画『ピンポン』での数々の名場面を思い出させられ、アドレナリンが溢れてくる。
本作のそうした場面の数々はとても印象的で、大人になって忘れてしまっていた「あの頃の気持ち」を心揺さぶられるほどに呼び起こされ、同時に涙腺も崩壊させられ、忘れ難い想いが胸に刻まれる。
本作で「かるた道」を通して描かれる、子供から大人への「通過儀礼」は、ときに『宇宙兄弟』の二人の様に、思いもよらぬ奇跡を起こすパワーを秘めている。
そんな純粋な気持ちを持てない外野から「かるたバカ」と言われても、「ピュアだ」と冷やかされても、天性の聴力と人一倍強い「かるた」への情熱は人生の夢や目標へと繋がっていき、かけがえのない「絆」を得て、大きく成長する。
学校や社会、そして世界には、いろんなタイプの人たちが共存している。
何か一つの事にしか集中できない「不器用な人」も、完璧に見えて「過去の過ちに囚われている人」も、他人からの愛を知らずに「自分の殻に閉じこもっている人」も、同じ輪の中にたくさんいる。
本作で語られる「勝負で自分の命運をにぎるのは自分じゃない」という言葉には、大人への成長に必要な、そして人生でとても重要で欠かせない「鍵」が隠されている。
登場人物それぞれが「自分のできること」を一心にやっている様に、それぞれの人生は皆それぞれが「主人公」の物語だ。
誰もが「脇役」ではなく、そして一人では上手に成長できない。
自分が一番だという思いだけでも成長できない。
本作には、それに気付けるヒントが隠されている。
世の中には知らない事がたくさんあり、興味の無いことは避けて通り過ぎがちだが、「好奇心」をもって一歩踏み込んでみると、実はそこには「好き」になる物がたくさんあったりする。
この映画は、その「好き」の扉を開けるキッカケと、それによって誰もが大きく羽ばたける可能性が込められている。
知らない世界に飛び込む事に躊躇っていた自分に笑顔で手を差し伸べてくれ、心強い勇気をもらえ、優しく背中を押してもらえる。
この物語の深く熱い想いは永遠に心に残り、それを全て語るには「千の夜」をもってしても足りないだろう。
本作自体が「百人一首」=「読まれた瞬間に千年前とつながる歌」の様に、いつの時代も普遍的な物語。
漫画と映画で描かれた『ちはやふる』という「歌」は、これから先、あらゆる事へ情熱を傾ける多くの人を励まし続ける「応援歌」となるだろう・・・。
「このたびは 幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」