このレビューはネタバレを含みます
「嘘は罪である。だがときに、嘘が奇跡を起こすこともある。」/聖ピエトロ・フランチェスコ8世
訴訟で一度も負けた事がない敏腕弁護士・古美門研介と新米弁護士・黛真知子の2人が繰り広げる超コメディ弁護士ドラマ『リーガルハイ』。
「全く新しい法廷ドラマ」「日本ドラマ史上初めて成功したコメディ」「くだらないのに心を抉られる」と高く評価され、「東京ドラマアウォード」「ザ・テレビジョン/ドラマアカデミー賞」「ギャラクシー賞」「放送文化基金賞」など、数多くの賞を受賞した。
その傑作シリーズを手がけた監督・石川淳一と脚本・古沢良太のコンビ、プロデューサー陣、カメラマン、衣裳、編集、音楽などのスタッフたち、里見浩太朗、生瀬勝久、小池栄子、岡田将生、矢野聖人などのキャストたちが再結集して新たに生み出したオリジナル劇場映画。
「自由に映画を作りたい」という石川と古沢の思いから企画がスタートした本作は、『リーガルハイ』と同じ世界で展開、リンクネタも登場し「アンサンブル・キャスト」で構成されている。
一年に一度だけ「嘘をついて良い日」とされている4月1日の「東京らしき大都会」を舞台に、登場人物27人がついた「嘘」が大騒動を引き起こす。
ある者は、「嘘」をついて「自信」を持つことができる。
ある者は、「嘘」を真に受けて「勇気」を手に入れる。
ある者は、「嘘」をついて窮地に追い込まれる。
ある者は、「真実」を疑って痛い目に合う・・・。
人は、誰もが嘘をつき、誰もが嘘に騙され、人と人との間には大なり小なりの嘘が必ず積み重ねられている。
それは、「異性にモテたいから」だったり、「愛する人と一緒にいたいから」だったり、「大事な人の笑顔が見たいから」だったり、「誰かを心配させたくないから」だったり、「自己肯定感を得るため」だったりする。
この「嘘」にまつわる物語には、超異型の堂々たるラブストーリーという側面もある。
そう、恋愛において「嘘」は必須な要素の一つであるように、我々の日常は「嘘」で溢れている。
「嘘」が無ければ、良い関係が築けなかったり、争いが増えたり、傷つけられたり、勇気が持てなかったりする。
脚本の古沢良太は「こんな人は到底好きになれない」というような登場人物でも「見終わった後には好きになってもらえる」ことを目指していつも脚本を書いているそうだ。
本作には「対人恐怖症の妊婦」、「SEX依存症の天才外科医」、「ホールを守ることに命懸けの接客係」、「下心満載のキャビンアテンダント」、「愛情表現を知らない誘拐犯」、「自尊心を失った小学生」・・・など、さまざまな問題を抱え、その問題を「嘘」で隠した人物たちが登場する。
そして、シチュエーション・コメディ、ホームドラマ、ロマンス、青春学園ドラマ、サスペンス、舞台劇など、あらゆるジャンルのテイストが交差する。
その中で、ある軽薄な人物から発せられる「対人恐怖症も個性の一つだ」というセリフがある。
多くの人が「変だ」と思う出来事でも、多くの人が「変だ」と思う人物でも、少し視点を変えれば、誰にも否定できないオリジナリティになる可能性も秘めている。
それは映画という作品自体にも当てはまる。
出る杭は打たれる風潮が根強い日本で、唯一無二の「変わった存在」は、表面的な一部分だけで判断され批判を受けがちで、とても生き辛い場合が多い。
映画も芸術も人も、そんな過酷な環境で「表現」し、オリジナリティを見失わず、そして強いハートで個性を保ち続けなければいけない。
監督・石川淳一と脚本 ・古沢良太をはじめ、戸田恵梨香、松坂桃李、ユースケ・サンタマリア、小澤征悦、菜々緒、戸次重幸、宍戸美和公、大和田伸也、寺島進、高橋努、浜辺美波、山口紗弥加、滝藤賢一、千葉真一、高嶋政伸、りりィ、岡田将生、生瀬勝久、小池栄子、千葉雅子、窪田正孝、矢野聖人、浦上晟周、木南晴夏、古田新太、富司純子、里見浩太朗らキャスト、そして全スタッフたちが、オリジナリティを保つことを恐れずに、自分たちの信じる「ずば抜けた個性」を表現するため、プロフェッショナルに徹している。
映画も芸術も人も、みんな「変」でも良い。
失敗や批判を恐れていたら、自分を思いきり表現することなんか誰も出来なくなるし、つまらない世の中になってしまう。
戸田恵梨香が演じる女性の様に、「嘘」に突き動かされ、騙されたって良い。
もしも彼女が失敗を恐れていたら、今もベッドの上で一人でテレビを見ながら「芋けんぴ」を食べ続けているだけ、という人生だったのだから・・・。
失敗を恐れずチャレンジし続ければ、何度も失敗するだろうが、諦めなければ「奇跡」だって起きるかもしれない。
我々はいつも、映画というフィクション=「嘘の物語」に一喜一憂させられ、つまり、良い意味でまんまと騙され、それをあえて楽しんでいる。
「芸術とは、我々に真実を気づかせてくれる嘘である。」と、ピカソが言ったように。
もちろん『エイプリルフールズ』という壮大な「嘘」の物語にも、楽しく笑わされ、楽しく感動させられ、楽しく騙され、その「行間」に真実を垣間見る瞬間がある。
その瞬間を見つけるのも映画の楽しみの一つ。
だから、映画という大きな「嘘」には細かい理屈など、どうでも良い場合もある。
あえて自ら騙されて、自ら楽しんだ者だけが、良い時間を過ごせる。
現に、こんな見たこともないヒーロー、見たこともないヒロインの映画には、なかなか巡り逢えない。
石川監督は「前情報ナシで観て、バカ映画で始まり、泣ける所で終わり、やっぱり結局バカ映画だったな・・・と思ってもらえると凄く嬉しい」と語っている。
「嘘」の中に隠された「真実」、我々の人生にも当てはまるその真実に、どれだけ気付かされたか、もしくは何ひとつ得ることが出来なかったか、それによってこの「ぶっ飛んだ嘘」の余韻は大きく変わってくるだろう。
「嘘に騙されて奇跡と出逢う」という、ストーリーの小さな一片だけをとってみても、少し心が豊かになり、映画に触れた価値が残る。
そんな気持ちにさせてくれた『エイプリルフールズ』という大きな「嘘」に、偶然出逢えた事も、また奇跡。
「あのさ、アンタ。何でこの子のことは誘わなかったの? だれかれ構わず引っ掛けるセックス依存症のアンタが、何でこの子には自分から行かなかったの? 好きだったからじゃないの? 自分と同類だと感じ取って、この人だけは傷つけちゃいけないって思ったからなんじゃない? 本気で好きになったから手を出せなかったんじゃないの? 何で自分の気持ちが判んないのよ!! 好きだったからよ!! 好きなの!! そういうことにしなさいよ!! 何でこんな時だけ正直になってんのよ!! あんた嘘つきなんでしょ!! そういうことにしなさいよ!! 今日はエイプリルフール!! 嘘でも何でもいい!! アンタはあの子の事が本気で好きなのよ!! その子がアンタの子供を産もうとしてる!! そしてアンタは医者!! やる事はひとぉーつ!! 私、CAって言ったけど、うっそぴょ~ん。本当は、助産師よ!!」