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ヴィオレット ある作家の肖像のemilyのレビュー・感想・評価

3.7

1940年後半パリ、実在した女性作家ビオレット・ルデュックの半生を描く。サルトル、カミュ、ジュネなどに大絶賛され「窒息」を出版するも、自身の性生活を赤裸々につづった物語はなかなか受け入れてもらえず、徐々に心を病んでいくヴィオレット。しかし心の毒をそぎ落とし、プロヴァンスの自然の中で「私生児」の執筆を始める・・

 自身の性生活を赤裸々に綴る。それは彼女が生を保つために重要な作業であった。文章を綴る事で自分を保つ。その人格は今でいうメンヘラそのもので、その才能がなければ誰しもが”できることなら関わりたくない人種”であろう。彼女の性生活は男女の垣根がない。それはどちらかと言うと、人と人との距離の測り方が分からず、誰から構わず依存してしまう性格からきてる。自分自身の存在価値を自分の中に見出す事が出来ず、それを相手に求めてしまうがために、多くの物を求めてしまい、またその態度が自分自身をも追いつめてしまう悪循環に苦しまされる事になる。

 ヴィオレットを演じるのはエマニュエル・ドゥヴォス。つけ鼻をしてその妬みと嫉妬をあらわにした表情が絶品の演技を見せてくれる。また彼女の良き理解者でありながら、一定の距離感を保ちながら常に書くことを強いてきたボーヴォワールを演じるサンドリーヌ・キベルランの中立的な立場はそのまま女性の強さと結び付き、才能を認めながら、彼女を良い意味で追いつめなんとか執筆に向かわせていく。ある意味ボーヴォワールの「とにかく書きなさい」と言う励ましはヴィオレットの執筆人生の大きな支えになったに違いない。

 ヴィオレットはボーヴォワールに執拗に近づき、勝手な被害妄想から理解不能な言動に出るが、それでも見捨てる事はない。それはヴィオレットの才能に惚れているからだ。ヴィオレットは彼女を愛しながら憎み、そしてやはりこんなに憎い愛しい人はいないであろう。書くことは生きる事。書くことでしか自分自身を見いだせない。彼女の書く作業は自身と向き合うことだからだ。書くことで平穏を取り戻し、書くことで自分に戻る。そう生まれながらにして作家以外なりえなかった人物である。暗い室内の中ペンが動く。そこから広がる世界観、自身の記憶をたどる旅の中で、言葉が感情が文字に変換されていく。それは苦しい旅である。しかし自分が自分であるために彼女につっては必要な工程であろう。

 自分が自分らしく生きる事。女性が自分らしく生きること。それはたとえ苦しい過程であっても、自分自身に誇れる生き方のはずだ。
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