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この世界の片隅にのriyouのネタバレレビュー・内容・結末

この世界の片隅に(2016年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

この映画の前に言葉を失う。もちろんどんな映画の前でもだが、特に。
それは中心がないから。日常には中心がない。すずが失った右手はもちろん絵を描く右手だ。それは大いにそうだ。しかし、失ったときその右手は「晴海と繋いだ右手」だった。それは包丁を握る右手で、傘を持つ右手で、頭を掻く右手で、晴海の手を握る右手で、絵を描く右手だ。
この映画を語る切り口はたくさんある。でもどこを考えていっても何か真ん中を捉えてない気分がする。日常とはそういうものだからだろう。
たとえば玉音放送の部分に着目して天皇に対する態度などいくらでも分析して語れるだろう。そういうことをしようとするとき、我々はどうしても、まるで天皇がすべてであるような語り方をしてしまう。すずの日常のほんの一部だというのに。日常は全体だ。あらゆるものを部分にしてしまう。
つまり右手はアイデンティティでもなんでもない。アイデンティティなんてハナからない。右手も絵もすずの一部だから、だから生きてる限り生きる。おかしな言い方だけどそういうことじゃないかと思う。
絵はもちろんすずにとって大事なものだった。でも本当の意味で絵がすずの中心だったならすずは右手の喪失とともに死んでしまったはずだ。惰性じゃないよ。大人ぶった諦めじゃないよ。全部の上に乗って力強く生きてるんだ。
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