サマセット7

残穢 住んではいけない部屋のサマセット7のレビュー・感想・評価

3.7
監督は「アヒルと鴨のコインロッカー」「ゴールデンスランバー」や「ほんとにあった!呪いのビデオ」シリーズ(監修、ナレーション)の中村義洋。
主演は「黄泉がえり」「いま、会いにいきます」の竹内結子。
原作は小野不由美の小説「残穢」。

[あらすじ]
2000年代、日本の地方都市にて、作家の「私」は、短編小説にするため、読者から怪談を収集していた。読者の1人久保さん(橋本愛)から提供を受けた怪談によれば、大学生で一人暮らしをしている久保さんの賃貸マンションで、畳を擦るような奇妙な音が聞こえるという。
ありふれた話と思われたが、同じマンションの別室でも同様の現象があったこと、久保さんの部屋の前住者が、転居後に自殺していたことがわかる。
「私」はこの怪談に興味を惹かれて、マンションの土地の来歴を調べ始める…。

[情報]
2016年公開の日本産ホラー映画。

原作者の小野不由美は、ファンタジー小説「十二国記」シリーズで知られるが、デビュー作は「悪霊」シリーズという少女向けホラー・ミステリーシリーズ。
著作のほとんどは怪奇/ホラー小説である。
夫は日本でも指折りの著名なミステリー/ホラー作家、綾辻行人。

原作小説の「残穢」は、小野不由美自身と全く同じプロフィールを持つ「私」の視点で、ドキュメンタリー小説の形で進む。
小野不由美自身、「悪霊」シリーズの初版あとがきで読者から怪談を募り、「鬼談百景」のタイトルで短編小説集にして発表している。
原作には実名で著名なホラー小説家平山夢明や福澤徹三が登場しており、作家の夫も登場するなど、作家小野不由美自身が経験した実録怪談ではないか、と読者に思わせる作りになっている。

小野不由美は、実録怪談ものビデオシリーズ「ほんとにあった!呪いのビデオ」(以下「ほん呪」のファンであり、同シリーズの影響下に原作小説を執筆した、と述べている。
「ほん呪」の創設者の1人であり、シリーズ通じてナレーターを務める中村義洋監督を今作の監督としたのは、こうした経緯から来る小野不由美の意向、とされる。

中村義洋監督は、「ほん呪」を監修する実録ホラー作品のエキスパートであると共に、「アヒルと鴨コインロッカー」「チーム・バチスタの栄光」といった小説の映画化に実績があり、今作の監督に相応しい来歴を持つ。

今作は、無差別に怪異が感染・拡大していく、という「リング」以来のJホラーの典型的構造を踏襲しつつ、「穢れ」という日本古来の概念を持ち込んだ点に新規性がある。

今作は5億円超のヒットとなった。
あの「リング」が10億円、「呪怨」が5億円の興収であることと比較すると、ホラー映画としては大健闘、と言って良い。
(なお、インフレを考慮しない場合、現時点の邦画ホラー歴代興収トップは2020年「事故物件 恐い間取り」の23億円。亀梨和也人気強し!!)。

Jホラーの評価を計測するのは難しいが、私が見る限り、今作は近年のJホラーの中では一定の評価を得ているように見える。
怖さ、という面では評価は割れており、「近年のJホラーで一番怖い」という人がいる一方で、「全然怖くない」という感想も一定割合で見られる。

[見どころ]
淡々とした取材の積み重ねから見えてくる、ジワジワした恐怖!!!
現出する怪異の法則に照らすと、ひょっとすると、あなたの部屋も???
一人暮らしの方や、アパート住まいの方は、より楽しめるかも!!!

[感想]
それなりに楽しんだ。

原作者小野不由美は大好きな作家の1人で、原作も読了済み。
原作の面白さは、「原作者の実体験??!と思わせるモキュメンタリーの趣向」×「絶妙にリアリティを感じさせる怪異現象」×「無差別に聞いた者/話した者をも巻き込む怪異の感染法則の恐怖」にあると思っている。

原作ありの作品である以上、原作をどのように脚色したのか、が問われるのは、当然である。

この点、原作の大きな魅力である、原作者自身の実体験を思わせるモキュメンタリー構造は、映画版ではほぼ死んでいる。
当たり前の話で、前情報なしに視聴者が「私」をあの小野不由美だ!!と思う、などということは、あり得ない。
原作自体、実体験か、という疑いを生み出す仕掛けが、読者の小野不由美に対する知識の多寡に依存している部分があり、映画化にあたっては、なおさらそのような前提は期待できない。
小野不由美自身であることを示唆する表現(大学が京都の仏教系大学であることや、夫と出会った経緯、かつて少女小説を書いており一時絶版になっていたことなど)も、映画版ではほとんどカットされている。

そもそも、ドキュメンタリー形式の小説や、「ほん呪」などのモキュメンタリーなら格別、有名女優や俳優が役を演じる映画では、初からモキュメンタリー構造を維持できないことは自明だ。

その結果、今作は、原作のモキュメンタリー的趣向の面白さを捨て、怪異のリアリティ、その法則の怖さ、そして、映画ならではの視覚/音響表現に依拠して怖さを演出している。

怪異のリアリティは、音響付きの映像となることで、怖さを増している。
特に前半の本件の端緒。
マンションの自室で、後ろから聞こえる摩擦音は、本当に不快だ。
ある意味、今作の怖さのピークはここにある、と言ってもよい。

今作の怪異の「法則」の怖さは、原作由来のものだ。
多分、「今作が1番怖い」と感じた人は、この点を評価していると推測される。
聞いただけ、話しただけ、住んだだけで怪異が伝播するなら、ひょっとして観客である自分にも?と想像した時には、すでにその人は「穢れ」の中に取り込まれている。

こうした私怨や因縁に依拠しない、無差別な怪異の伝播は、リング以来世界的に評価されたJホラーの定型の一つである。
悪いことをしていない人でも標的になるのが、恐ろしい。

原作は、クライマックスの盛り上がりにやや物足りなさがあったが、映画版である今作では、サービス満点に盛り上げてくれる。
全編に見られる取材の積み重ねの描写も、さすがは「ほん呪」の中村監督。
メインの女優や俳優が有名すぎ、美しすぎる点を除いては、全体にリアリティが漲っており、好感が持てる。

俳優陣について言うと、主演の竹内結子は好きな女優で、今作でも淡々とした演技に説得力があり、好演している。
亡くなってしまったことが惜しまれる。

橋本愛も良いが、年齢が原作のライター(30代)より大幅に若いため、役がライターではなく大学生になってしまった。
その結果、怪異の調査に積極的に取り組むことのリアリティを大きく損ねている。
こんなヤバい話に、仕事でもないのに、興味本位で首を突っ込むな!と言いたくなる。
真面目そうな可憐な容姿のため、なおさらである。

佐々木蔵之介は、いつものように演技過剰だが、今作ではその良い面が出ている。
怪奇現象マニアのヤバさが、表情、特に目で表現されている。怪演、である。
彼の役は、原作では実在の著名なホラー作家、平山夢明なのだが、ご本人をどこまで参考にしたのであろうか。
興味を惹かれる。

と、このように、原作との比較も含めて、それなりに楽しんだ。
ホラー映画単体としての評価はどうか。
健闘しているが、強烈なパンチに欠ける、といったところだろうか。
今作を十全に楽しむには、何か個人的なフックが必要なのかもしれない。
例えば、自身がアパートで一人暮らしをしている、といったような…。

[テーマ考]
今作は、ホラー映画という特殊なジャンル映画であり、テーマを論じることに大きな意味はない。
要は、怖いか、怖くないか、だ。

今作は、題材として、穢れ、という日本古来の概念を持ち込んだ点に、新規性がある。
平安時代より続く、死の穢れが感染する、という概念は、現在でも喪に服すといった形で残っている。
古代においては、死体は伝染病の感染源であり、穢れ、という考え方にも一定の合理性があったと思われる。
何にせよ、日本人にとっては、呪い、と言われるより、穢れと言われた方がリアリティがある、かもしれない。…似たようなものか。

もっとも、恨みを残した死者が穢れの発生源となるなら、太平洋戦争の例を引くまでもなく、日本中至る所で残穢は生じそうな気もする。
なぜ、今作の根本は一つなのか、若干モヤモヤしたものは残る。
説明がない点も含めて、怪談なのだ、と言われればそれまでだが。

今作では、穢れの伝播を追う、という物語の構成上、日本の住宅街史を遡る構造となっている。映画では尺の都合かそこまで描写はないが、原作ではなかなか面白い。
興味があれば原作も一読を勧める。
バブル期以降、人の流動性が高まり、その結果、土地に起因する人間関係が失われたこと、精神病患者に対する座敷牢の法的位置付けの変遷など、物語と絡んで面白い。

[まとめ]
小野不由美原作のホラー小説を、「ほん呪」の中村義洋監督が映像化した、淡々と進む10年代Jホラー映画の佳作。

小野不由美作品は好きでそこそこ読んでいる。
個人的ベストは「屍鬼」か、十二国記シリーズの「図南の翼」か。
と言うと、ニワカっぽいだろうか。
今は「ゴーストハント」シリーズを少しずつ読み進めている。
キャリア初期の少女向け小説とあって表現やキャラクターなど、今読むとやや違和感を感じる点もあるが、オカルトの書き込みが深く、小野不由美の原点と考えるとなかなか興味深い。