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シン・エヴァンゲリオン劇場版の8637のネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。
...なんてそんな事、予習を一週間で済ませた自分が透かした面で言える事ではないが、それでも一週間はこの物語に縋っていたので、この終わり方には希望も絶望も感謝も自戒も感じたわけで。

シンジ・アスカ・レイ()の物語はエヴァらしからぬ普遍的な物語から始まった。何よりトウジ・ケンスケの未来が見られる事がよかった。
あの地での体験はきっと"大人になれなかった子供たちの成長"となっただろう。

-戦闘シーンに関してはついていけなかった自分には話せず-

しかし、なんと言っても最後にたたみかけた胸熱展開にはやはりグッと来た。それは、ただの過去の言動の繰り返しなだけでは無く、見えなかった過去を掘り下げた事が「庵野秀明の"決別"」と解釈できて良かった。

特に、碇ゲンドウの物語が沁みた。(と言いながらもここで少し寝た)シンジが抱えていた絶望感・孤独は儚くも遺伝していたのだと知ると、このシリーズにより一層、現代版「走れメロス」のようなものを想起した。

そして庵野秀明はここからがあざとい。旧劇で"実写パート"という自殺者倍増必至の暴挙に出た彼だが、今回も「新世紀エヴァンゲリオン」「ヱヴァンゲリオン新劇場版」更に「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」までもがエヴァの世界線に存在された"産物"として捉えられるスタジオでの一瞬があって、更にファンを現実に徐々に落とし込む為の原画演出もあったりもした。
庵野監督はまさに存在の境目が分からない演出が好きだなと、そしてその特異さに観客が踊らされているなと思いながらもここに興奮してしまう。

そしてラストシーン、エヴァの呪縛で大人になれていなかったシンジが、スーツ姿で声変わりもして、というその終わり方から、「使徒・エヴァという恐怖は消え去った元の平和が戻った」と自分の中で納得して(まぁ、分かりきってる話だけど)そこから泣きっぱなしだった。
庵野秀明はいつまでも14歳の青春を描くわけにはいかなかったのだろう。
シンジとマリが疾走するシーンにシン(真)に胸を掴まれ、実写顔負けの空撮ラストカットは平和を象徴しているように思えた。

この結末に25年目のファンはどう思うのだろうか。批判するのだろうか、はたまた安堵できるのだろうか。

エンドロールで"松任谷由実" "吉田拓郎" "神木隆之介"などというなんとも言えない名前を見つけた。あとから神木隆之介は大人になれたシンジなんだと悟れたが(その瞬間、叫んだ)、それが何よりも嬉しくて、もう一回聞きたくて、いや絶対それだけの理由じゃないけど、いつか再見しに行きたいと思う。


追記:"©︎カラー"の文字が出てから点灯するまでに十数秒の余韻があったことに「ありがとう...」と思ったのは僕だけではないだろう。

更に追記:既に観た友達と「あのラストカットってやっぱり実写だよね!」と確認しあって萌えた。旧劇の二の舞いとはいえ、虚構という名の現実の可視化をギリギリリアルタイムで観られたことに興奮している。
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