チラシ見たときから、なぜか配役が逆だとおもってた、でも、そうだね、そうよね!? 天才作家のジュード・ロウと堅物編集者のコリン・ファースだよね。
でもでも、個人的に見たかったのは、頭の固い気難しい作家のコリン・ファースとフットワークが軽い有能編集者のジュード・ロウの組み合わせだったな。
さておき、実話をどう映像化するか。うーん。もうちょっとなんとかしてほしかった。
「ママの年でスポットライトは似合わない」「boooo」昨今のハリウッド映画事情を思った。
夫である編集者ことプロデューサーが家に連れてきた新人作家が失礼な男で元女優の現劇作家を遠回しに侮辱、って、意図してなければいいのか? というか、昨今のハリウッド映画業界の比喩なのかなと思って、一部の人は喜びそうだな、と思ってしまって、ちょっと引いてしまった。男性脚本家の愚痴が詰まった『ReLIFE』を連想。イヤな気持ちになった。
いやはや『トランボ』はうまく作られてたな、なんて。
ただ、天才萌えなので。天才なのはどちらか、というつくりは、良かったかな。どうだろ。
『ピーターパン』のポスターを見つめるシーンで、『ネバーランド』を連想させて天才に振り回される女たちについて、ざざっと連想させられた。なんか、なんかな。つらい。ニコール・キッドマンの無駄遣いでは。
タイプライターで打ち込む女たち。女は機械の代わり。ダナ・ハラウェイの『サイボーグ・フェミニズム』を思った。『ドリーム』早く見たいぞ。
1930年代の職業婦人を描いてることに物珍しさを感じたけれど、こんなにイライラさせられるとは。こういう映画でイライラしたくないんだよな。つらい。
彼女の仕事場にやってきて邪魔する彼、ものすごく無様だし、でもそんな男をジュード・ロウがやってる…いや、イケメンだからって許せねえよ。甘やかさないでくれ。
好ましい甘やかしかたではなかったし、もっと痛い目見て欲しかった。出会う人を狂わせる、煌めく才能をもっと感じさせてほしかった。『アマデウス』が好きなんだ。作家と編集者と天才の話だと『ワンダーボーイズ』が好きなんだよな。こういうの、男たちの話に絞って貰ったほうが、よっぽど楽しめる。楽しめてしまう。なんとかならんかな。
天才作家に恋して振り回されて身を滅ぼす女を描くのは良いんだけど、もうちょい、うまくやっていただきたい…かと言って耐える妻みたいなの見せられてもイヤなんだけども。なんだかな。なんだかな。
描くのが難しい時代、という事情はあるかもな。黒人を映し出すのはいいけど、もっとちゃんと描けよ、という気持ちになったりもして。同時代を描いた『ファンタスティック・ビースト』は今後どうなっていくかな、とか。俳優がイギリス人なのに舞台がアメリカ、というチグハグさからもファンタビを連想してしまった。不安。
拳銃取り出したニコール・キッドマンはちょっと面白かったけど。ブロマンスに絡む女としては最悪の描き方ではないかとも思った。うーん、乗れない。あんな男、さっぱり見限るか、もっとスマートに嫉妬を滲ませてほしかった。ニコール・キッドマンじゃなければ印象は変わったかな。「私がどんなに苦しんだか」と言いつつ、彼を叱咤し導いてくれる、気高く美しい容姿をした自立した彼女。都合が良すぎる。早く別れろとしか。なんなら、もっと怨念振りまいてほしかった。
作品に手を加える編集者の躊躇、いやいやガツガツ手を加えとったがな。飢えてる人々について書いても飢えてる人々は本なんか読まない作家の諦観、迫ってこないあたりも、うーん。友情、うーん。説教シーンも、うーん。
そして手の届かぬところへ去っていく天才。
いつものジュード・ロウ映画と思えば、そうだけど。
あれかな、もっとロマンチックな演出なら良かった。脚本と作品のトーンが合ってなかったように思う。
のっぺりした画面にも魅力を感じず。
終始、余所事を考えてしまう程度に刺さらなかった。うーん。