ずどこんちょ

アイリッシュマンのずどこんちょのレビュー・感想・評価

アイリッシュマン(2019年製作の映画)
3.4
長い……さすがに3時間半は長過ぎます……。
タイタニックでさえ194分です。一部劇場公開もされたようですが基本はNetflix限定配信です。逆に映画館でこの長尺を見なくて良かったのかもしれません。
いつでも止めたいタイミングで止められる配信ならではの長所を生かせるのかも。

1950年代から70年代を中心に、アメリカの闇社会の真相についてフランク・シーランという男の視点で描かれます。
フランクは元々トラック運転手をしていたのですが、マフィアのボスであるラッセルと知り合ったことにより、その腕を買われ、殺し屋としてラッセルの命を受けて暗躍するのです。ラッセルは物腰柔らかな印象とは違って各方面に口利きして世の中を動かす影の権力者でした。いわゆる、そうは見えないけど"ヤバい人"です。
そんな中、フランクは全米トラック運転手組合の委員長であるジミー・ホッファを紹介されます。当時、大統領に次いで影響力のあったホッファを護衛している内に、やがてフランクはホッファの良き理解者のように付き従うようになります。
しかし、やがてホッファはマフィアの言いなりになっていく組合と対立し、立場を危うくしていきます。フランクはホッファの行き過ぎた行動をなだめるのですが、遂に事態を重く見たラッセルはフランクにホッファの暗殺を命じるのです。

主人公フランクを演じたのがロバート・デ・ニーロ、ホッファ役がアル・パチーノ、ラッセル役がジョー・ペシです。
3人とも威厳があって闇社会に生きる雰囲気を醸し出しています。そういう役もやってきましたし、ベテランの風格です。

しかも本作では50年代頃の若かりし時代も本人たちが演じており、CGで違和感ないほどに長時間若返りを施しています。
驚くべき技術です。いよいよもう年齢に関係なく映画が作れるということです。それなりの予算も掛かるでしょうが、製作者の表現したいシーンがより自由に表現できるようになったと感じます。
そのうち亡くなった名優たちも甦らせることができるかもしれません。もう一度見たかったあの俳優たちの演技がCG技術で新作映画に登場するようになったら……夢のような話ですが、どこか倫理を超えた恐ろしさも感じます。故人の意図と沿わない形で蘇らせるのは違いますしね。

フランクが暗殺者としての任務を果たす時、そこに一切の感情は挟まれませんでした。
ラッセルというボスの命令に従ったまでであり、それは第二次世界大戦で彼が上官の指示に従って敵の捕虜を殺害していた時と同じだったのです。
捕虜に自分の墓穴を掘らせ、掘り終わったところで銃殺していたフランクは、彼らが自分の命令に従って墓穴を掘っていた意図が理解できないと言い放ちます。
フランクは当時、彼らの気持ちに寄り添おうとか、彼らの声を聞こうとはしませんでした。戦時中ですから、敵兵にそのような人間的な関わり合いはとらないのかもしれません。

それと同じように、フランクはラッセルの命に従って粛々と邪魔な人間を始末していくのです。人間的な感情をかけないから、その手口も鮮やかで見事と言わざるを得ません。
店に入り、ターゲットを確認したら躊躇うことなく頭を打ち抜く。道端ですれ違いざま、銃を抜いて打ち抜く。撃ち抜いたらすぐにその場を離れ、あらかじめ準備していた車に乗って逃げるだけです。
協力者と余計な会話をすることもありません。ましてやターゲットに命乞いをする暇を与えることもありません。
使用した銃器はすべて川底や海底に沈めて証拠は残しません。この銃で何人の人を殺めた…などと、そこに思い出を寄せることもしないのです。
あくまで任務であり、人殺しという感覚は抜けているのでしょう。

そんなフランクが唯一躊躇ったのが、ホッファ暗殺でした。
ラッセルにぎりぎりまで何とかならないかと訴えていたフランクでしたが、ラッセルの答えが変わらないことを悟ると、フランクはただ押し黙って彼の指示の通りに現場へと向かいます。
ホッファにとってもフランクは心を許せる相手でした。つまり、ホッファも罠にかかりやすかったのだと思います。きっとこれがフランクでなかったら、場数を踏んできたホッファは警戒心を強くしてその場から離れ、暗殺されることもなかったかもしれません。
フランクにとっても、ホッファにとっても、悲劇的な運命でした。
そんなホッファに対しても、フランクは手際良く暗殺を遂行します。どれほど心を殺して引き金を引いたのだろうと感じます。

フランクは晩年になっても鉄の掟は守り続けていました。マフィアは自分が捕まってもお互いのことは絶対に喋らない、誰も巻き込まないということ。
FBIが取り調べに来た時、あの頃の関連の人物は皆、とっくにこの世にはもういないと言うのに、誰を守るともなく真実は語りませんでした。故人となった彼らの名誉、仲間内だけの秘密を守り通したのかもしれません。

そんな彼が唯一晩年語ったのは、家族への想いです。暴力も人にはいえない罪も皆、家族を守るため、保護するためだったという言葉。それを聞いた娘は呆れてしまいます。保護されていたのではなく、パパに相談すると相手を酷い目に遭わせてしまうために相談できていなかったのだと言うのです。
彼の生き様は家族のためでした。家族を何よりも大事に思っていた。
しかしその思いは家族の思いとは一致していなかったのです。晩年になっても口を聞いてくれない娘たち。
彼は孤独になって人生を終えようとしています。自分の棺桶や、自分の墓跡を自分1人で選ぶフランク。彼は死ぬ前にこんなに孤独になりたくて、あれほどの罪を犯し続けていたのでしょうか。
その姿がカッコいいなどとは微塵も思えません。惨めでしかない。人の命を奪い続けた者の報いと思わざるを得ません。

本作の原作はフランク・シーランという男が晩年に告白した内容を基に作られたノンフィクション作品です。
当時の裏稼業に大きく関与していた彼が自分の半生を遂に語ったのはなぜでしょう。
それはフランクが生涯を通して、そして晩年にはより強く信仰心を強くしていたように、彼なりの神様への「懺悔」なのだと感じます。
家族からも真意は汲み取ってもらえず、世間にも伝えられない仲間内の秘密。墓場まで持っていく決意を固めていた自分が携わった殺人の数々を心から悔い、神様には真実として伝えたいという思いがあったように思われます。

悔い改める言葉を聞いた上でフランクの半生を見直した時、哀しみを背負ったフランクの任務遂行がまた違った形で見えるのかもしれません。
とはいえ、もう一度3時間半をやり直すのはまだまだモチベーションが上がりませんでした。