狭須があこ

ノクターナル・アニマルズの狭須があこのレビュー・感想・評価

ノクターナル・アニマルズ(2016年製作の映画)
4.2
お、お、お、お前
この経緯でこの小説送ってきたの!?
震えるわ

めっっっっちゃめちゃに繊細な男だということがバリバリによくわかりました。
復讐なのか未練なのか、一体何のつもりなのかわからんけど意志疎通の方法が個性的過ぎるお前は、と思いながら見ていたんだけど

作者の人格や経験がフィクションに必ず連動している論には反対派ですが、自らの意志で自分をブチ込む奴も居るんですよね~…

ひとのレビュー覗いたらみんな、私の思ったことと違うこと書いてた。あっ、そうなんだ。
色んな解釈があるっぽいです。
ぼくはいまから、ネタバレ解釈垂れ流します。
きみも先に映画を見て、自分だけの解釈を垂れ流せ


~以下、完全ネタバレ解釈~


自分はエドワードに復讐されて当然な仕打ちをしたと、彼女は心のどこかで思っています。今まで気にも止めなかった「リベンジ」って言葉が目に入り、ビビり倒すスーザン。
気になると急に目に入るようになる。わかる。

小説を読み進めながら、彼女は自分が過去を許されたのか、許されなかったのかの二択を知りたかったんじゃないかしら。
でもエドワードが彼女に語ったのは復讐でも、未練でも、そして愛でもなかった。

自分の能力が足りず、最適な判断をできず、大事なものを失ったトニー。
自分が肉食系ならスーザンを失わなかったのに。という、これはエドワードの後悔かな。
他人に復讐をお膳立てしてもらった挙げ句、実に下手くそにそれを遂げます。

失った妻と娘はもう戻って来ません。
自分の感情の処理を無理やり終え、物語を無様に終えたトニー。つまり…

エドワードのなかでは19年、悲しみと苦しみと共に、この物語が進行していた。
取り戻せない。でも感情は行き場がない。
不器用な彼のなかで不器用なトニーが死ぬことで、やっと物語は終わった。

エドワードは復讐など考えていなかった。
彼のなかにトニーが居た19年の間には、まぁそんな気持ちもあったかもしれないけども、いままだ復讐なんて気持ちでこれを送ってきているなら、トニーは生きてるはずなんだよな。

「失った」「取り戻せない」と理解していながら、乗り越えるのに19年かかった。
その間にアンディーズ警部補のような、彼の手を引く存在も居たのかもしれないが、ずっと苦しみながら、不器用に彼女を愛していた。
いやァもう、気付いちゃったら、彼に会うしかないでしょう。

でも彼はもう「あの頃の僕じゃない」。
スーザンへの想いを描いたこの物語は、もう完結済みなのです。本を閉じればトニーの物語、つまりスーザンに捧ぐ物語は終わりです。

ぜんぶ終わったよ報告を受けてから、会おうとしてもダメなのです。
彼は苦しみ抜いて、既に死んだあとなのです。
愛にせよ、憎しみにせよ、彼女への強い気持ちが今もまだ残っているのならば、彼は最後に食事に来ていたと思いますよ。

最後にエドワードに会おうとするの、痛々しすぎない?エドワードは何の毒もない男なので、復讐もせず、律儀に気持ちの終わりを小説で報告してくるだけ。その毒のなさを理由に捨てたくせに、まだそこに甘えられると思ってノコノコ行っちゃうの、超みじめだ…
捨てた側が「もう遅い」ってバツンと言われてる。キッツ

「意志が弱い」と言われ続けたエドワードがじっくり考え、悩んで結論を出したのと対照的に、「意志が強い」スーザンは自分が出した結論を覆せないかと駄々をこねる。
そして気づけば、あれほど嫌っていた母親と同じ以外の道が、どれも閉じている…

こわ~~~…エイミーアダムスはマジで味わい深い映画にばっかり出るなぁ。
全っっ然好きになれる映画じゃないけど、すごい映画でした。
狭須があこ

狭須があこ