イホウジン

帰ってきたヒトラーのイホウジンのレビュー・感想・評価

帰ってきたヒトラー(2015年製作の映画)
3.8
現代は本当にファシズムを克服したのか?

第二次世界大戦は、ムッソリーニ政権,ヒトラー政権,昭和天皇の正当性を否定することで、連合国の「勝利」が作られたが、今作はある意味この75年の戦後史を根底から覆す程の問題提起を孕んでいる。それは、「現代は本当にファシズムを撲滅させたのか?」という問いだ。そして現在、今作の問いかけは徐々に人類共通の課題として認識され始めているように感じる。
確かに連合国はベルリンでヒトラーを死に追いやった訳だが、それによってファシズムが撲滅されたとは考えにくい。ヒトラーはあくまで“民主的な”プロセスで国民から選ばれた存在だからだ。故に、民主主義の根本的なリスクから目を背け続ける限り、第二第三のヒトラーは登場し得る。今作ではたまたま同じヒトラーが“第二のヒトラー”として頭角を現したが、もし彼が別人となって蘇ったとしたら、映画終盤のおばあちゃんのように未来に警鐘を鳴らせる人物は現れるだろうか。
今作では、ヒトラーが30年代に行った映画的なダイナミックな演出による支持集めの手法が、マスメディアを通して「親しみ」をもってもらう演出にすり変わっている。一見両者は対局をなす考え方だが、どんなに非道なことを言っても世論の支持を集められるという点で共通するものがある。あらゆるメディアを駆使して国民との「近さ」を演出する政治家は今も健在であり、それとファシズムの紙一重さを痛感させられる。
そして今作で興味深かったのが、ヒトラー(を演じた役者)がいわゆるネオナチ,極右政党の連中を批判しまくるところだ。近視眼的に見てしまうと、その2つにファシズムを復活させるリスクがあるように感じられるが、確かに映画内でヒトラーの「単に歴史を反復する行為は歴史の盗用同然だ」的なセリフにあるように、現状彼らの極端な思想が国全体に定着するとはもはや考えにくい。むしろ脅威なのは、彼らを批判したヒトラー(を演じた役者)の方だ。ファシズムが左右のイデオロギーを越えたオルタナティブな存在であるとすれば、歴史の本当の敵はまだ現れていないのかもしれない。

今作は“考えるための”映画としては非常に良かったが、“楽しむための”映画としてはもう一歩という所だった。ドキュメンタリーによる告発性と劇映画によるエンタメ性を両立することは映画を一般に届けるために有効な手段ではあったが、どうも後者の存在感が薄かった。終盤の展開も悪いわけではないが、ここまで徹底してきたリアリズム的な描写を雑に手放したような感じがした。

今作における最大の教訓は、「言ってることは正しそうだけどなんかヤバい奴は、ただのヤバい奴だから信用するな」ということだろう。結局今作でヒトラーが一定の支持を獲得できたのは、その風貌以上に“国民の不満を汲み上げてるように感じる”戦術を常に取り続けたからだろう。中盤のYouTuberは見事にこの罠にハマってたし、昨今の社会情勢を顧みるに、決してフィクションでは済まされない話であろう。

「真の敵」を見極めるリテラシーの獲得が急務だ。
イホウジン

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