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バジュランギおじさんと、小さな迷子のsanbonのレビュー・感想・評価

4.0
「印パ」の問題に勇猛果敢に斬り込みながら"シリアス"には決して描かない"懐の深さ"が際立つ作品だった。

これまでも「きっと、うまくいく」や「PK」「バーフバリ」シリーズなど、ボリウッド映画はちょいちょい観てきてはいたが、今作を深く理解するにはそれらの比にならないくらい"現印パ情勢"の予備知識が必要な内容となっていた。

なので、これから観る予定の方の為に根本的なところからまずは解説していこうと思う。

「インド」と「パキスタン」は「イギリス領」だった時代、元々は一つの国「インド帝国」として統治されていた。

それが解体となり、独立するにあたり問題となったのが「宗教」の存在である。

自国で統治が行われる場合、一つの国の中で「イスラム教」と「ヒンドゥー教」が二分される事になると、民主主義の国を制定するにあたり、数の多いヒンドゥー教が絶対的に有利になってしまうのだ。

結果的には「二国化論」がイギリスの承認もあって採用される事となり、インドはヒンドゥー教の国、パキスタンはイスラム教の国として別たれる事となった。

その際に、戦争の火種となってしまったのが「領土」に関する次なる問題だ。

「カシミール」は"領主"がヒンドゥー教=インド領の人間であるのに対し、"住民"の8割はイスラム教徒が暮らす"本来であればパキスタン領域"の地域であり、この地区がインドとパキスタンのどちらにつくかを検討した結果、最終的に領主がインド側に帰属するよう決定するのだが、パキスタン側がその決定に猛反発を示し、ついには「第1時印パ戦争」が勃発する。

それ以降は、幾度となく紛争が繰り返され事態は泥沼化の一途を辿り、しまいには「核武装」にまで発展して今に至るというのが、印パ情勢の現状である。

そして、今作はそんな背景を持つ2カ国を舞台に、インドで迷子になってしまった少女をパキスタンまで送り届ける話を軸に展開されていく。

パキスタンで生まれた活発な少女「シャヒーダー」には問題が一つあり、6歳になっても言葉を発する事が出来ない発達障害に悩まされていた。

それを案じた母親は、インドのイスラム寺院にある"どんな願い事も叶えてくれる聖廟(せいびょう)"を訪れる為、娘と共に渡印する事に。

お祈りは無事に済み列車で帰路に着くその最中、ある事がキッカケで迷子になってしまったシャヒーダーは、字も書けず声も発せない状態の中「国境」という厚い壁に阻まれ、一人行き場を無くしてしまうのだった。

そんな中、少女は偶然にも「ハヌマーン」を信仰する「バジュランギ」と出会い、彼はなんとか彼女を送り届けようと手を尽くす。

しかし、警察はアテにならず、大使館はストにより閉鎖され、家族からはパキスタン人に対する反発にあい、合法な手段で帰す事も家に留めておく事も困難になってしまったバジュランギは、"不法入国"という選択を迫られる事となる。

そしてこの紆余曲折の中にも、印パ間の確執が色濃く表現されている場面がある。

それは、家族の知り合いだという旅行代理店の男が、金を積めば少女をパキスタンに送り返してやると話を持ちかけてくるシーンである。

バジュランギは一旦はそれに応じ、金を掻き集め少女を男に預けるのだが、実際に2人が向かった先は売春宿であり、男は6歳の女の子を身売りしようとしていたのだ。

しかも、男は"家族の知り合い"にもかかわらずだ。

つまり、これは金銭目的での行為ではなく、身寄りのないパキスタン人に対する"仕打ち"を意味しており、それだけこの二国を隔てている"憎しみ"はとても深く、えげつない様相を呈しているのだ。

どうだろう、ここまで説明すればこの映画がどれだけとんでもない事を題材にしようとしているか、分かって貰えただろうか。

しかもその道中も、それぞれの宗教の違いがことごとく足枷となって苦しめる展開が終始続いていく。

バジュランギが信仰するヒンドゥー教は「殺生禁止」や「嘘をついてはいけない」という教えがあり、菜食主義の為肉類は口に出来ないし、不法入国の身でありながら嘘がつけない為"誰かの許可を得なくては入国出来ない"のだ。

入国後も、追われる身でありながら嘘をつけず、真実を話せない少女が傍らにいるという状況は、考えただけでも相当に厄介である。

ただ、この映画の凄いところは、この深刻な状況とどうにもならないジレンマを、貫徹して笑いに変換している事だ。

ここまでの説明だけだと、どれだけ難しい題材なのかと思われてしまうだろうが、あくまで背景は知っていればより深く楽しめるという程度であり、実際観て頂ければ難しさなど微塵も感じない。

そう思えるほど、映し出される景色はどれも美麗で、且つ全編が明るさで彩られており、観ていてヒヤヒヤするような場面はほとんど描かれないのだ。

だからといって語られる内容が生易しい訳ではなくしっかりとヘビーなのだが、にもかかわらずそれを感じさせないというのは相当に凄い芸当だと思った。

そして、この映画内ではある「革命」が起きている。

それは「宗教戦争」とも言えるこの只中にあって、バジュランギというキャラクターを通して、異教徒であるシャヒーダーの行いを"受け入れ"ヒンドゥー教の"戒律に背く"姿が描かれるのだ。

言葉にするとなんだか大仰だが、背くといっても菜食主義なのにシャヒーダーの為に肉を出す飲食店に足を運んだり、本来踏み入れる筈のないイスラム教の寺院に赴いたりと、そんな些細な事だ。

ただ、バジュランギは人一倍熱心なヒンドゥー教徒で本来なら融通の利かない不器用な人間であり、これが双方いがみ合っている今の情勢下での出来事である事を忘れてはいけない。

この作品では、決して相入れる筈のない環境下にある対立宗教に、フィクションの中とはいえ"理解"を示しているのだ。

これを、小さいながらも「革命」と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろうか。

また、シャヒーダーを演じた女の子がこの上なく可愛いという点は、この作品を評価するうえでかなり重要だ。

何も話せない設定の彼女に、与えられたセリフはほとんど無く、その全てを身振り手振りで表現しなくてはならない為、命を危険に晒してでも守ってあげたくなるような"圧倒的な魅力"を感じさせる必要があったのだが、その役割を彼女は充分に果たしていた。

全体的に演技が大袈裟だったり、演出がくどい場面もあったりはしたが、社会科の勉強にもなって最後は感涙必至の展開をみせるのだから、ボリウッド侮るべからずである。

色々と宗教問題に偏って書いてしまったが、この映画は単純に笑って単純に泣ける間口の広い映画で間違いない。

興味のある方は観てみて損は無い筈だ。

ただ、出来ればそろそろインド映画にも、吹き替え版の実装をマストにしてもらいたいと思った今日この頃であった。
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