ヤマダタケシ

戦国自衛隊のヤマダタケシのネタバレレビュー・内容・結末

戦国自衛隊(1979年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

2020年12月31日 アマプラで

・なんとなく『地獄の黙示録』に近い物を感じた。社会によって暴力を振るう事を抑えられた男たちが、戦国時代という未開の地に行く事によって暴力の欲望を満たしていく。
・陸尉の伊庭、陸士長の矢野、景虎という順番で下に行くほど暴力への欲望がむき出しの人間として描かれているのだが、その実、作品としては一番理性的に見えた伊庭が抑え込んでいた暴力の欲望を解放させて行く流れになっており、後半に行けば行くほど現代に帰りたいと思っている他の隊員たちと対比される形で伊庭のむき出しの願望が見えてくる。
・伊庭、矢野の少し陰湿さのある暴力欲に対し、マシンガンを乱射するところの表情などで顕著だったが、景虎の暴力欲は健康的な明るいものに見える。しかし、その現代から見ると一見社会に囚われていない様に見える景虎の暴力も、最終的には朝廷と言う体制によってコントロールされてしまうものであり、その景虎の暴力によって殺される伊庭というのは戦国時代というパラダイスの幻想に裏切られたようにも見える(もちろん戦国時代で死ねることは本望だったのだろうが)。
・唯一生き残るのが、戦国時代に穏やかな生活を望んだムッシュかまやつだというのが結構象徴的だと感じた。伊庭と比べた時に、そこに戦場を見出すのか穏やかな生活を見出すのか。まぁどちらにしてもある意味で、戦国時代に対しエキゾチックな願望を抱くものではあるのだが。
・異国に自らのパラダイスを見出し、そこで英雄になろうとする様は『アラビアのロレンス』を連想した。
・待ちわびた戦争が水平線の向こうからやってくる!という意味で『タタール人の砂漠』を思い出したり。