YasujiOshiba

砂の城のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

砂の城(2017年製作の映画)
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背のひょろりと高いニコラス・ホルトは身長190cm。それだけじゃない。『M.M. 怒りのデスロード』のウォーボーイズたちのひとりニュークスを見事に演じて印象に残ったけど、一見弱々しいけど内に秘めたものがあるなんていう、微妙な表情もこなす。

イラク戦争の帰還兵が脚本を書いた『砂の城』は、じっさいの出来事をもとにしているけれど、ニコラス・ホルトがうまいぐあいに感情移入先を提供してくれる。ぼくらは、学費稼ぎために止むを得ず入隊した新入りマット/ホルトとともに戦場に入り、逃げ出したくなる気持ちを共有しながらも、戦場の事件に翻弄されてゆく。

そう。兵士にとって戦場は訳のわからない「事件」の連続。銃撃シーンがそうだ。空気を切り裂く銃弾がキュンと跳ねるとき、狙撃手はどこにいるのかわからない。わからないままに身を隠し、わからないままに反撃しながら、相手を探す。そう、事件はとつぜんに、わけもなく、そこに立ち現れる。

マット/ホルトはその目撃者だが、物語の作者であり、スターであるという特権的な立場にあって、事件を目撃することになる。だから感情移入できる。ぼくらは勝ち馬に乗った時に、安心してくつろぎながら銃撃戦を楽しめるわけだ。けれども同時に、まわりで次々と、事件に巻き込まれて命を落とす仲間たちを目撃しなければならない。安心しながらの動揺。まさにベンヤミンが映画という芸術にみた機能。

みずからが壊した水道施設を、みずから修復し、みずから砂にしみこませた水を、みずから汲みだして運ばなければならない。まるでシジフォスの苦役。だからこそ「砂の城」というタイトル。それはまさに、組んでも組んでも砂漠に吸い取られている水は、作っても作っても崩れ落ちてゆく砂の城だってこと。

その水と砂に触れたかのような感覚こそが、この映画の映画的なくつろぎのなかの動揺の本質であり、この感覚から政治が始まる。それこそは、ベンヤミンが「感覚の学の政治化(美学の政治化)」と呼んだものなのではなかっただろうか。
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