『リメンバー・ミー』に続いて家族という呪縛について考えさせられる作品だったかも。
いや、本来はこう書き出そうとしてたんすよ。「インド映画は裏切らない。どんなに時間が長くてもそれを感じることなく魅了してくれる」。とかなんとか。
実際、本作も多分に漏れず、気づいたらクライマックスに入っていて、さすがインドの最高峰だなあという印象は持った。スポ根ものとしては確かな見応えで、ハラハラさせられつつ「約束された大団円」へ向かっていく様は金メダル級だった(うまいこと言うたった!)。
ただ、海を渡って届けられた他の印度印と違うのは、このおとっつぁんには共感できかねるというところ。ちょっと強権発動しすぎでは? と思ってしまう。
作品で描かれる問題の根本は「自分で自分の人生を選べない」ことだ。娘たちは保守的な社会からの圧力からは逃れたが、それも自分で選んだわけではない。父に違う人生を選ばされただけだ。
同国の女性が被る抑圧的な人生を理由に「だからあなたたちは愛されている」で、さも自分たちの意思で選んだように描かれるが、それは一歩間違えばDV男の「愛あればこその鉄拳」論理でしかなく、これを甘受することは違う抑圧を受け入れただけでしかないだろう(でも幼少期にこの種の抑圧を受けない限りは頂点にたどりつきづらいというスポーツ界の闇もあるんだよねー)。
結局のところ、この論理は取ってつけたように現れては半ば放棄されていて、「この国の女性たちのために」だったはずが、最終的に彼女たちは父のために戦っている。勝利によって女性の選択肢云々にも形の上では決着がついているのだが、作品への感想の多数が「父は偉大なり」とか「家族の愛に感動」に寄っていて、その命題は家族の物語の添え物にしかなっていないことが伺われる。添え物になってしまうのは、それが選ばされた正義だからだ。そこに愛があったのならば、黄金と栄光に姿を変えたのならば、この種の抑圧は(全肯定じゃないにしろ)まあオッケーでしょ。…とは思えなかった。
この成功の物語の裏には社会に強制された数多の画一的な人生があるのは確かだが、その一方で、社会の強制を逃れるという名目で親都合の将来を強制させられた数多の失敗があることも忘れてはいけない。成功したからこそ二項対立に見えるが、実際のところは複層的で、この成功が異なる抑圧の不幸を生むことだろう。金メダルはひとつなのだ。だからわざわざ描かれる。
ちょうど去年、プロ野球ドラフト会議のドキュメントで家庭崩壊するまで息子を野球漬けにしておいて、結果どこからも声がかからなかったやつが不憫すぎるとバズったけど、あれはアナザー・ストーリー・オブ・ダンガルである。
ダンガルを観たことで、自分が「愛すべき負け犬映画」と呼ばれる作品が好きな理由がまたはっきりとした気がする。彼らは負けるが、自らの意思で人生を選び取っているのだ。どっちがいいとかわるいとかではなく、これは好みの問題だろう。
とかなんとか長々と書いちゃったけど、嫌いな映画ではないんだよねー。自分が家庭環境に問題ありだったから余計なところに気がいっちゃうだけだとよくわかってるしね。
ちゅーことで、このくらいの点数で!