スプリングス

アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場のスプリングスのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

〈/《善い》とは、《悪い》とは。/〉

【Introduction】

『トロッコ問題』
...あなたは線路の切り替えポイントに立っている。そこにブレーキの壊れたトロッコが猛スピードで向かってくる。線路の向かう先には5人の作業員が。このままでは5人とも死んでしまう。しかしポイントを切り替えた場合、もう一方の線路にいる作業員1人が死んでしまう。ポイントを切り替えるべきか、切り替えないでおくべきか。1人を死なせるか、5人を死なせるか。5人を救うか、1人を救うか。どちらが、最善か。

『臓器くじ』
...公平なくじがある。このくじで健康な市民から1人を選び出す。その1人を殺め、臓器を5つ取り出す。その臓器を必要な5人に配る。これで1人が死に、5人が助かることになる。これは許される行為か、否か。

────どちらも同じ人数を救い、同じ人数を見殺しにすることになるのだが、この2つの思考実験には明確な違いがある。
《罪悪感》
アクシデントへの対応によって1人を殺めてしまうこと。明瞭な意思をもって1人を選び出し殺めること。前者は止む無いと感じ、後者は罪深いと感じる。
《善悪の判断は感情によって左右される》
人間は殺人を嫌悪する動物である。よって、より《殺人感》の強い臓器くじを否定したがる。
では、人数を変えてみてはどうか。
臓器くじで選び出す人間は変えず、取り出す臓器・提供する人数を増やしてはどうか。
例えば、1人:11人。(※11人とは1人ぶんの臓器が救える最大の人数)
この場合だと罪悪感が比較的軽くなり、判断が肯定に少し傾くことになる。
《善悪の判断は数によって左右される》
これは自然なことである。人間の《動物的本能》がそうさせている。人類の継続、子孫の繁栄。そのためには、なるべく多くを残さなくてはならない。

《善い》とは、《悪い》とは、、。
...何を基準に語るべきなのか。

さてここに、一本の映画がある。
1人を殺め、自爆テロを防ぐか。
1人を救い、自爆テログループを見逃すか。
それを問う映画である。
僕はこの映画を観てしまった。観てしまった以上、善悪の境界線を考えなくてはならない。思考し続けなくてはならない。《善》とは何かを。《悪》とは何かを。

────《正義》とは、何かを。

【Review】

善悪の基準は現在のところ明確化、統一化されていません。
だから当然、この映画で問われるものにも答えは用意されていない、、答えが無いわけではありませんが、見えないのです。
そしてそれは恥ずべきことではないと思うのです。
答えの見えない問題...当たり前です。人類が生み出されてから現在に至るまで、決して答えが明確化されたことがない問題なのですから。
とはいえ、思考を放棄することはよくない。だから、答えの見えない問題、この《善悪の境界線》というものを僕は問い続けなければならないのです。
観てほしい、この映画を。
そして一緒に思考してほしい。
《考える》ことは大切です。必要です。
考えないことには《答え》は見つからないから。だから、考えてほしい。
これでよかったのか。
ほかの選択肢はなかったのか。
最善の策とは。
正義とは何か。
共に思考したく思います。
いつか辿り着くであろう《答え》のために。