さいとう

ウィッチのさいとうのネタバレレビュー・内容・結末

ウィッチ(2015年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

これは聖書の知識あるかないかで、だいぶん楽しみ方が変わる内容だなと言う感じ。

自分はカトリック系の学校で教育を受けて、素地は少し整っているので、気になるところも後で調べやすかったかなぁ。

作品としては、最小限の演出で最大の効果を出しているような、深みのある内容なのに情報量が多くなさすぎて(キャストも多くないし。)とても観やすかった。

おそらく十戒、その戒律を守って生きることやその解釈(原典は正しくとも人間は解釈を間違えるもの。)にがんじがらめにされていることでむしろ罪を犯している。と言うような内容なのだと思う。

今回のストーリーで初めに印象に残ったのは、家族が馬車で門を潜り自らコミュニティから離れていくシーン。
信仰心の篤いウィリアムはその厳格さゆえコミュニティの教義に違をとなえ「教義を(ウィリアムが思う)正しいものにするか私たちを追い出すか選べ」と言うことで家族は追放。
追放と言されているがこれはもう自分で出て行ったのと同じじゃないかと思う。

ここで思い出したのが「ブドウの木」の例え話。なんじゃそりゃって言うのは是非調べてみてくだせぇ。
ウィリアムが後に「私は傲慢だった」と懺悔しているが、この傲慢さが引き金となり、この家族は信仰心を持ちながらも「実を結ばない枝」になってしまったのだろうか。
門を潜っていく家族の姿が私には荒野に放たれた弱々しい羊たちのように見えた。
傲慢さゆえにできた隙に「魔」は容赦がなく、人間はあまりに脆弱。あとは物語を見ての通り。

次に印象に残ったのがトマシンと母親の関係性、というか女性の扱われ方。
聖書では集団の人数を数えるときに女性の人数を入れない女性差別的なところがあるし、まぁ昔のことなので男尊女卑が今よりも根深いので、その社会で育った母親キャサリンの女卑思想も強い。
トマシンが双子の妹に「私には厳しいのにあんたは甘やかされている」と言うようなことを発言しているところから、キャサリンのトマシンに対する当たりは厳しかった様子。
おそらく身体が成熟して来たことと初潮を迎えたことで、トマシンに現れる性(特に女性の性)に対する嫌悪感がそうさせたのではないかと思う。(最後のほうに取り乱したキャサリンが「あんたがケイレブを誘惑した!」と言うところに嫌悪感を見た。)
その嫌悪感はやはり女性差別的な原典に忠実すぎる信仰が原因ではないだろうか。
この歪みがやがて疑心暗鬼を生みさらに「魔」が付け入る隙を与えたと言える。

結果トマシンは悪魔と契約して魔女の仲間入りをするわけだけれど、あの踊る魔女たちはいったいどこから来たのだろうと感じた。
トマシンと同じように極端な解釈の教義と原典に忍ばされた弱者やマイノリティに対する排他的な価値観により魔女は生み出されたのではないだろうか。

生き残ったトマシンが悪魔に語りかけた際に、なぜ家族の蘇りを望まなかったのだろうと疑問に思ったが、
I have said to corruption , Thou art my father
と死を受け入れて神に信仰心を示そうとした父の無惨に殺される様を見て、絶望してしまったのかもしれない。

ヨブ記が度々引用されるところから、もしかすると神のトマシンに対する試練と読み取れるかもしれないが、
私の目には傲慢にも己の教義の解釈を正しいと信じた人間の脆さが際立っていたように思える。
さいとう

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