たりほssk

ショコラ 君がいて、僕がいるのたりほsskのネタバレレビュー・内容・結末

4.8

このレビューはネタバレを含みます

この映画は、忘れられていたフランス史上初の黒人芸人ショコラを掘り起こす伝記であると同時に、人種差別問題をも盛り込んだ大変重厚な作品です。

まず、当時の人種差別がこれほどひどいものだったのかということに愕然としました。このような偏見が満ちた社会に、フティットとショコラのコンビが与えたインパクトは計り知れないものだったと思います。けれどこの二人は、やはり(それは当たり前のことですが)この社会の文脈の中でのコンビでした。

観客を笑わせるためには白人が黒人を叩かねばならず、最初は二人はそのことに疑問を抱いてはいませんでした。フティットはショコラを差別していたわけではないでしょうが、一度挫折したこともあり、何とかして自分たちを売らなければならないということに必死でその文脈でショコラを芸人に仕立て上げようとする。

しかしショコラの方が自分の尊厳を意識するようになると、コンビはうまくいかなくなり、ショコラ自身もどうしていいのかわからなくなってしまう…

それが間違いだったと気づくのは最後の最後です。ショコラは、「俺はショコラだ。俺は変えたいと思っていた、この肌を。バカな黒んぼ。俺はまずまずだった。」フティットは「それ以上さ、ラファエル、お前は王子だった。俺の方が、もっと上を目指す方法をわかってなかった。」と言うのです。二人の心は、真に強く結びついていたのです。そして「俺たち二人は王様だった。二人なら無敵だった。」という言葉に、人種差別を乗り越えてこそ未来があるという監督のメッセージが込められているように思えました。
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