オスカー主演女優賞獲得は納得。
狂気が高じていく過程と、白鳥のラストと彼女自身がシンクロするクライマックスは特に素晴らしい。
体がきゃしゃでクローサー(2004年)出演時のストリッパーの場面で、色気がなくてこういう役は合わないな、と思っていたのに、本作で特にヒップのみを強調して見せるセクシーシーンは、こう見せれば、ペッタンコでも肉感的に見えるのね、と感心したりもした。
ただし自分はバレエを本格的にやっていた時期があり、辞めてからも舞台はよく観に行っているくらいのバレエ好き。演者としても鑑賞者としても思い入れがあるだけに以下の感想になってしまう。
彼女への称賛はダンスを含む「演技」に限定されるべき。過酷な体づくりとトレーニングを経た上での演技一連を褒め称えるのは言わずもがな。
彼女はプロのバレエ・ダンサーではないことは忘れてはならない。映画ではなくバレエを鑑賞していると勘違いしてしまう鑑賞者がいるならば手放しで喜べない。
NPはバレリーナではない。違うカテゴリーとは言え同じ芸術家としてプロのバレリーナへの敬意があれば、ボディダブル論争はなかったはず。
NPが踊ったのは間違いないと思う。けれど実際はダブルも全部踊り、どう映像で使いわけたかは当然議論の余地があったはず。
まともなクレジットなしはダブルが契約でハメられたに近い。
オスカー前に火消し工作をし、NPも受賞時に延々とヘアやメイクスタッフの名前まであげたのにダブルには感謝もせず無視。そんな姑息なことしなくてもオスカー級の演技は明らかなのに欲をかいた感がある。
そんな態度だからオスカーの評価は彼女のダンス比重が大きかったかと邪推されて批判の的になる。ダブルが一言言いたくなる気持ちもわかる。
1年の訓練であの黒鳥フェッテのターンをポアントでなせはしない。
かなりの部分が上半身がNP、下半身ダブルだったはず。
あのシーンについてのデジタル技術による顔の差し替えは明らかになっている。
俳優仲間や関係者は、ほとんどNPが踊っている、というけれど、それはわかってますよ。でもダブルも踊ってるんだし、ほとんどNPが踊っているからオスカーという論理、そもそもその論理事態が存在しないと思うんだけど、いわば印象操作の姑息さが拭えなくて悲しい気持ちが残る。
そんなことを考え出したら、今敏の「パーフェクトブルー」でしょ!とイチャモンまでつけたくなって結局あまりいい気分でなくなる。