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ブレードランナー 2049のいののレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
5.0
気がついたら2020年も11月が終わろうとしていた。2049年よりもまだ29年はやいけど。雪も降らないし雨も降ってないし赤茶けた砂埃もない平穏な日に。わたしは3年前に観たときに、K(ジョー)に心のなかで語りかけたのです。ちゃんと憶えておくよ!って。11月はブレードランナーがわたしを呼ぶ。まだ呼んでもらえるわたしでいられることが、めちゃんこ嬉しい。あ~、雪降らないかなぁ。観る度に発見があって(毎回同じことを発見したと思っているだけかもしれないけれど)、そして毎回心が揺さぶられる。





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〈以下は、過去レビューの一部〉2017年


記憶について


かつて、こんなドキュメンタリーを観たことがある。新しい記憶を積み重ねていくことができない病気にかかって、苦しむ男性と、その家族の物語だ。若き父親であるその男性は、1時間前のことが記憶として残らない。子どもの日々の成長を、記憶に刻むこともできない。記憶はその都度リセットされてしまう。だから、絶えず苦しむことになる。私とは何者なのか? 目の前にいる子どもたちは一体何者なのか?


記憶がなければ、人はどうやって生きればよいのか? 
記憶がなければ、なにを拠り所に生きればよいのか?
そう問いかけるドキュメンタリーだった。


先月から、ブレードランナーを再鑑賞し始め、私は再び記憶について考えている。そして今、私はこう思うのだ。その記憶が自分固有のものでなくても構わないのではないかと。誰かに植え付けられた記憶であったとしても、それを抱きしめて大事にしてきたのなら、それはもう自分のものだ。


前述したドキュメンタリーは、本人の苦しみ、家族の苦しみ、そして、それでも共に歩もうとする姿を写し出していた。その映像の最後は、確かこのような言葉で締めくくられたと思う。 「私が忘れてしまっても、家族の中に記憶は残る。」 

自分は記憶を刻むことができなくても、家族のなかに記憶は刻まれる。それもまた、生きるということだ。


ロイの記憶も、Kの記憶も、(映画を観た)私の記憶に、深く残る。ロイがいなくなっても、Kがいなくなっても、ちゃんと私が憶えておく。だから、大丈夫だよ!って、そう言いたい。



私が一体、何点の評価をしようと、世の中は1ピコメートルだって変わりはしないことは重々承知しているのだけれど、それでも、どう点数化したら良いのか、本当に悩みまくりました。映画全体が優等生みたいな感じもするし、デッカードもレイチェルも、気配だけでも良かったのかもしれない(デッカードの溺れそうな姿が、ただの初老のお爺さんみたいに感じられて悲しくなってしまいました)。


それでも、Kのラストが本当にたまらなく良すぎて、もう2つどころかその1つでじゅうぶん受け取らせていただいた気もして、この映画を他の映画と比較して点数をつけられないような気もしてきて・・・。というわけで、自分でもよくわかりませんが、このような点数とさせていただきました。なんだか言い訳がましく、見苦しいのですが。



ゴズリングの声が大好きです。見た目も大好きだけど、目を閉じて声だけをずっと聴いていたいような気持ちにもなる。ゴズの声は、傷つきもがき苦しんでいるような人を、優しく抱きしめてくれるような、そのように信じられる声だと、私は思っている。



joy(アナ・デ・アルマス)はものすごく可愛かったけど、マリエット(マッケンジー・デイビス)も可愛くてしかもプリス(ダリル・ハンナ)を彷彿させるのも、とっても嬉しかった。



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2017年映画館で2度。そのあとBDを購入して何回観たのかな。回数、数えておけば良かった!笑
いの

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