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ワンダーストラックのkissenger800のレビュー・感想・評価

ワンダーストラック(2017年製作の映画)
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五十嵐大「聴こえない母に訊きにいく」(2023)ってエッセイがありまして。病で聴力を失った父、生まれながらに聞こえない母、その両親から生まれたCODAの筆者がお母さんの半生を聞きにいく話なんですけど、この映画、ちょっと似てる。
ただし、マイノリティ、イコール、弱者。
という思考にとらわれている社会や自分を、時間をかけて解きほぐしていく前掲書と違って『ベルベット・ゴールドマイン』(1998)から明瞭なメッセージを強めに打ち出すのがトッド・ヘインズというひとで。
本作はミリセント・シモンズという優れた才能を手にしたことでチートのような仕上がりになっていて、ええとミリセントをスターに押し上げる次作『クワイエット・プレイス』(2018)が構図的に分かりやすいのでそっちで説明しますが。

あの作品、ミリセントの持つ身体特性が、われわれの住む現世と逆の意味の「強さ」として発揮されるじゃないですか。
それでいうとオードリー・ヘップバーン『暗くなるまで待って』(1967)もそうだし、『ドント・ブリーズ』(2016)……あれは違う爺がもともと強すぎるナーメテーター映画だ。
つまりメジャーだマイナーだって区別にひとが信じるほどの意味なんかないんだよ、がトッド・ヘインズの主張で、もう一歩踏み込むと「自由になっていいんだよ」(が俺解釈)。

たとえばシスヘテロがマジョリティでそうでないひとはマイノリティだとするじゃん、そこに上とか下とかある?
子どもは大人との比較で体力知力に劣るからマイノリティとして振る舞わなければならない、日本に暮らす外国籍の者は一時的に場所を借りていると自覚して肩身狭く生きよ、デビッド・ボウイなんてなよなよした野郎はぜんぜんロックじゃない。

……みたいな「あたりまえ」思想。
ふーん、本当にそうかね。それで君は残りの人生も行くのかね。
俺? 俺はシスヘテロなりに子どもは人類の父であると思いつつ国籍も性的指向も関係なくデビッド・ボウイもミリセント・シモンズもかっこいい、って側を選ぶよ。
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