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お嬢さんのmayaのレビュー・感想・評価

お嬢さん(2016年製作の映画)
4.1
ハマりすぎてDVD買って何周もしてるのだけど、3周目くらいから余裕でてきて、詐欺トリオが各キャラ可愛くて仕方なくなってしまった。悪いアマかわいい秀子、小狡かわいいスッキ、クズかわいい伯爵...パクチャヌク、人を可愛く撮ることに長けている人ですね。。

レズビアンを、レズビアンの視点で描くことに真摯な、数少ない映像作品だと思う。女性同士の性愛はこれまで男性の欲望の対象としてしか描かれてこなかったから、当事者であるビアンからすると自分たちの物語を搾取されてかえって気持ち悪さしか感じないのだけど、本作は当事者目線で描こうとしてるから、同じ女性同士の性行為の描写も全く違う。またその違いを、朗読会と、第3部とで明確に示している。
世に蔓延るエロティシズムは、女性によって創作されたものがほぼ皆無だ。ハイソサエティが「芸術」とか呼んでるもの、当事者からすると人権の踏み付けであり、不快以外の何者でもない、ということがはっきり描かれていて清々しい。
それはそうとして藤原伯爵の造形、ずるくないですか??心に刺さって抜けないが??男に抑圧されてきた女に翼を与えるのは女であるように、女を抑圧してきた男に引導を渡すのは男なの、本当に最高。スッキとお嬢さんは愛で繋がってるけど、伯爵とお嬢さんは実は合わせ鏡なんだよね。同じ穴の狢だから最初から最後までドライだし、共犯という関係がふさわしく、ただ愛を得たか否かで結末が変わる。変態趣味の餌食になるお嬢さんを見ても性欲が湧かないのに、スッキに恋するお嬢さんを見て本気で愛してしまうの、それは本物の愛だよ...

伯爵と秀子は実は合わせ鏡になっていて、秀子は愛によって生かされ、伯爵は愛によって破滅するのが完璧な構図。秀子を愛したというより、秀子が人を愛する様に焦がれてるなんて、伯爵、愛に対して誰よりも憧れがある人じゃないですか...。ハジョンウ、作品のオムファタールになってしまうケース多すぎる。主題そこじゃないはずなのに、存在感ありすぎて監督たちがたちまち狂っちゃうのなんなんだ。飛び散る桃の果汁は笑うところだろ(撮影だとみんな爆笑してるし)
サラッと流されてるけど英国人に面白半分でマナーを教え込まれ、日本語を話し、本名を名乗らない伯爵ことコパンドル、あの時代あの韓国でしか生まれないキャラクターなんですよ。愛を知るわけも得られるわけもなく、死に場所はあそこ以外絶対ない。日本語「お前の煙は、青く、冷たく、美しいようだが」韓国語「お前も脆く、濁り、鈍くなったな」のやりとり、復讐の場面として美しすぎる。伯爵の返しは上月の「日本は美しい。朝鮮は、脆く、濁り、鈍くていけません」という台詞の意趣返しな訳だけど、別に愛国者でもなんでもない伯爵が、スッキと秀子の描写では描けない「被植民国としての韓国」の部分を担っているのは、本作が原作より勝っているポイントだと思う。原作はただの嫌な詐欺師だったのに...
スッキと秀子が明るい日差しの中駆けて行くのに、コパンドル(藤原の本名が秀子の偽名として生き続けるエモさよ)は愛に憧れながら閉じ切られた地下で青く冷たい煙に巻かれて上月と心中なんて...「地獄へ道連れ」が愛の形のオムファタール、最高です。
(ちなみに、藤原の最期の記憶が静止画になるの、セルジオレオーネの「ワンスアポンアタイムインアメリカ」オマージュ?)

あと、本作の日本語についてとやかく言うのは正直すごくナンセンスだとおもう。韓国の役者さんたち、ひいては韓国のクリエイター達が作中に外国語の長台詞を普通にぶちこんでくる感覚がなぜあるのか、ちゃんと考えるべき。日本語であそこまで演技するなんて、敬意の対象だと思います。

追記:藤原伯爵の出自、済州島の農夫とムーダンの息子なのだが、済州島出身者は朝鮮本土でも差別に遭い、戦後は朝鮮独立勢力による虐殺が起きている。地政学的には多様な国が拠点として港を使い、文化史的には、独特の宗教が残る異色な地とのこと。コパンドルは差別に差別を重ねられる立場ということなのだろうか?
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