ルッキオ

哭声 コクソンのルッキオのネタバレレビュー・内容・結末

哭声 コクソン(2016年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

観る人によって解答が異なるタイプの映画。
目撃者、よそ者、祈祷師は最後まで正体が分からないし、悪魔の顔がなぜ日本人なのか。
終盤のたたみかけはわけが分からず、混乱。正直長いなあとすら感じてしまいました。

しかし、二回目以降はその分からないことを解明したくなるタイプの映画です。

物語は悪魔本体が登場して一応の解決を見せるんですが、これすらも事実なのか。
検視結果のキノコの幻覚作用ということにも明確な答えは出ません。
エンディング間近ジョングの発する言葉も意味深です。
「娘の為に殺人を犯すことは罪なのか?」
娘の殺人は悪魔の仕業。でも父親の犯した罪は悪魔的要素をはらんではいないのか?
彼を助けようとした(ように見える)女の忠告を無視して、彼が下した決断の結果はどうだったか。
韓国映画に蔓延する復讐モノへのアンサーとも受け取れるようなバッドエンドでした。

ジョングは局面局面で選択をせまられ、都合のいい解釈をしては失敗をする。
彼は噂話や怪しい目撃者の話、子供の告白など、自分の目で見ていないものを丸飲みしてしまうタイプの人間です。
娘が悪化すれば祈祷を中断し西洋医学の方へ頼る。
そのくせ最後は理由もなく祈祷師の言葉を信じて悲劇へ向う。
最初は恐れていたよそ者を、自分の解釈だけで排除しようとするのも、彼の心の弱さなのかもしれません。
その心の弱さにこそ付け入るのが悪魔の存在意義。
この世で一番最悪な事態を目の前にしても泣き叫ぶことしか出来ない、というのが「哭声」のタイトルの意味でしょうか。

さて、四者入り乱れ、何が真実なのか明快な答えは明かされませんが、
一つ確かなことは、
目撃者もよそ者も祈祷師も悪魔に抗おうとする人間の一面を持っているという部分。
日本人も女も涙を流す瞬間があるし、祈祷師は大量の鼻血とゲロ。

悪魔が國村準の顔しているので混乱しますが、これもイサムが都合のいい解釈をしているだけかも。
悪魔に実態がないのは劇中語られることで、日本人の顔してる必要はない。
つまり観客は「日本人が怪しいと思ってるイサムの思う容貌」を見せられているだけなのでは。
悪魔だと確信した瞬間、イサムの思うマンガチックな悪魔像に変身します。

日本人祈祷師は直接対決して破れますが、韓国人祈祷師は結果魅入られてしまったというオチ。
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