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哭声 コクソンのnucleotideのレビュー・感想・評価

哭声 コクソン(2016年製作の映画)
5.0
時代や地域の異なる文化間に共通の要素を見出したレヴィ=ストロースの構造主義以来、映画を含め、人間文化のあらゆる要素は記号体系を構成しており、それらを支配する統一的な法則があると考えられてきた。

ウラジミール・プロップの『昔話の形態学』では、ロシアの魔法昔話に現れる「物語機能」は31個であり、それらは物語の中でほぼ一定の順番で現れることが示されている。つまり、バリエーションによる差異はあるものの、ロシアで伝えられていた魔法昔話はすべて同一構造(同一プロット)を有することを唱えたのである。

ー構造というものを語り得るためには、いくつかの集合の要素と関係の間に、不変の関係が出現し、ある変換を通じて一つの集合から別の集合へ移れるものでなければなりません。

レヴィ=ストロース『遠近の回想』




テクストには意味の「中心」があるという考え方を共有する構造主義に対し、テクストとは論理的に統一されたものではなく、不一致や矛盾を含んだものであり、互いに矛盾した読み方を許すものだと批判したのが脱構築/ポスト構造主義である。テクストが首尾一貫した統一体であることを否定する脱構築は、逆にテクストの異種混淆性や意味の決定不可能性を見出そうとする。

「デコンストラクション(deconstruction)」という概念を唱えたジャック・デリダは、白/黒、男/女、明/暗など二項対立的な思考パターンにおいて、一方が優れていて他方が劣っているとされたり、あるいは肯定/否定の関係で捉えられる傾向があるとして、そこに含まれている階層を指摘した。デリダはこの二項対立の境界を消滅させることを目指し、西洋的論理を批判しようとしたのである。




神/悪魔、生/死、善/悪など、『哭声/コクソン』が纏う二項対立的イメージは物語が深まるにつれて、悉くその境界が湮滅する。ジャンルとしてのストーリーとて、一定の解釈を許さない、意味決定不可能性が全編を貫いている。

もはやこの映画をデリダ的に読み解くといった次元ではなく、『哭声/コクソン』という映画それ自体が、今日まで脈々と紡がれてきた「映画の歴史」ないし「映画という全体」への脱構築なのではないだろうか。
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