一度は受験生のムスムと。。計3回観ちゃいました。
いや、ホント良い映画です。
まぁ、ポジションとしては実録社会派ドラマだとは思うのですが、後味スッキリの痛快エンタテインメントに仕上がっております。
61年のアメリカ・バージニア州(南部)に於けるアフリカ系アメリカ人の立ち位置なんかは、本作に登場するアフリカ系の人々(そして女性)の、ため息、苦笑、倦んだ佇まいなどなどで表されるように、いちいち語るのもシンドイわ。。ってくらいにお手上げ状態なわけで。
そりゃ、ソ連に先を越されますよ。
キャサリンが非白人用トイレに行く時間40分の積み重ね、ドロシーが電算室の責任者に、そしてメアリーが正規エンジニアになるまでに費やされた時間を合算した分だけ、遅れを取っているんですよね。
難しい計算よりも誰でもわかる、こんな足し算をまず理解しろよーって、部外者やから言えるんやけど。
『差別してるつもりは無いのよ』と語りかける白人女性上司ミッチェル(キルスティン・ダンスト)に対してドロシーが返す言葉。。。『ええ解っています。そう思い込んでいらっしゃる事は』。
差別している、という呵責の痛みを伴う感情よりもタチが悪い“常識”というドクサ。
本作は声高にエピステーメ(真の知識)を叫ぶことなく、映画的弁証法でもってコロンブスの卵を立てていきます。
キャサリンに渡される“チョーク”
トイレのある建屋まで何度も通った足取りが、最後に全く異なる意味を持つ瞬間。
ラスト、スタッフォードがオフィスを横切る際に取る、ある行動。
反復と伏線が気持ちよくキマる。。本当に映画っていいよなぁ、と思わせてくれた至極の一品でした。