うえびん

笑う故郷のうえびんのレビュー・感想・評価

笑う故郷(2016年製作の映画)
4.4
本当のリアリティはリアリティを超えたもの

2016年 アルゼンチン作品
原題:El ciudadano ilustre(著名な市民)

アルゼンチンのノーベル賞作家ダニエル・マントバーニは、故郷の田舎町サラスからの招待を受け、40年ぶりにスペインからアルゼンチンへ帰郷する。ヘルマン・ヘッセの『郷愁』を思わせる導入部。サラスの人たちは、世界的著名人となったダニエルの帰郷に沸き上がり、ダニエルに「名誉市民」の称号を与え、彼を暖かく迎え入れる。

青春時代を過ごした田舎町、相変わらずの旧友たちとの昔話、初恋の人との感傷的な再会…。スペインで抱いていた彼の「郷愁心」は徐々に癒されていくが…。事態は、ダニエルにとっても、サラスの人たちにとっても思わぬ方向に進んでゆく。

脚本、物語の展開、序破急のバランスが絶妙で面白い。アルゼンチン文化、サラスの街並み、自然の風景、羊の頭などの食文化…etcが新鮮に感じられる。また、主人公が作家なので、ノーベル賞の授与式をはじめとするスピーチや講演会での言葉が、機知に富んでいて興味深く聞ける。

・人間が繰り広げる喜劇の観察者として、この世の悲惨さを和らげるのが私(作家)の務め。負け戦だが、放棄するつもりはない。この偽善に満ちた社会で。
・(作家に必要なもの)ペンと紙と虚栄心。
・(現実と架空について)現実など存在しない。あるのは解釈だけ。

広い世界から評価を受けたダニエルの作品が、狭い故郷の世界で酷評を受ける。「故郷を捨てた」「故郷に対する中傷」「裏切り者」だと。狭い世界の政策(ルール)に従わず、彼の信念に従って文化や芸術を守ろうとしたために。政策は為政者が変わればすぐに変わるが、長年積み重ねられてきた文化は、容易には変わらない、滅びない。ノーベル賞の授与者に対しても、故郷の有力者に対しても、媚びない、へつらわないダニエルに芸術を求道する作家の姿をみた。とはいえ、そんな彼が聖人君子でなく、私生活がルーズなのも人間らしくて親近感が湧く。

作家同士の対談『みみずくは黄昏に飛びたつ』(川上未映子・訊く×村上春樹・語る)を思い出し、二人が語り合う作家の道を読み返してみた。

村上)本当のリアリティっていうのは、リアリティを超えたものなんです。事実をリアルに描いただけでは、本当のリアリティにはならない。もう一段差し込みのあるリアリティにしなくちゃいけない。それがフィクションです。
川上)でもそれはフィクショナルなリアリティじゃないんですよね。
村上)フィクショナルなリアリティじゃないです。あえて言うなら、より生き生きとパラフレーズされたリアリティというのかな。リアリティの肝を抜き出して、新しい身体に移し替える。生きたままの新鮮な肝を抜き出すことが大事なんです。小説家というのは、そういう意味では外科医と同じです。手早く的確に、ものごとを処理しなくちゃなりません。ぐずぐずしていると、リアリティが死んでしまう。
川上)それを知っているということ自体が、大きいエンジンのひとつですよね。
村上)そのとおりです。

村上春樹の言う「もう一段差し込みのあるリアリティ」「生き生きとパラフレーズされたリアリティ」、リアリティを超えたリアリティが描かれた、文学的な味わいも楽しめる秀逸な作品です。
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