たらこパスタ

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版のたらこパスタのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

劇場で鑑賞できて嬉しい...!
まとまりが全くなくなってしまいましたが印象的だったところについて感想を残しておこうと思います!

小明の魅力がとんでもなかったです!
冒頭の教室の明転時に一瞬で去っていく小明、小四と向かったスタジオでレールの上を左側に向かいながら闇に消えてそのあと小四の背後の暗闇から現れる姿、演習場で別れた後にみた小公園の溜まり場カフェでのイベント会場のネオンに照らされ会場に入っていく小明、どれもぐらぐらと不安な暗闇の中で発光しているみたいで(実際に光が反射してはいるけど)、それらのシーンは夢ではないのに、この世にはどこにもない小四の心象風景のようにさえ思った。いつも制服を着ていたのもその印象を強めていたかもしれない。一方で小四と笑い合っているシーンは等身大な中学生然としていて、とても微笑ましくて......
二人のやりとりするシーン、どれも求心力がとても高かったです!
特に小公園御用達カフェで2人っきりでレコード聴きながらニコニコしてるところと、保健室の手前の踊り場の壁沿いのドアに朧げなシルエットだけがうつり会話が交わされるシーン、そして戦車がたくさん走ってくる道で横並びで会話するシーンが好き。ドアのシーンでは2人の会話する所作などに意識がいかないので会話を聴きながら話している内容について過去のシーンなども思い出されて関係者としてその場にいて盗み聞きしてる人みたいな気持ちになった。戦車のシーン、2人横並びになっているのにそれぞれ単体で切り返しで映されるのですが、戦車の音や暗闇がかき消すことで実際の2人の物理的距離以上の隔たりが生まれてしまっているように思った。二人のすれ違いは、(それが全てではないと思いますが)思春期ゆえに発生する部分と轟音雑音にかき消され暗闇によって見失わされるこの時代のこの街により引き起こされている部分がどちらもあるんだなと感じました。
最後に何度も小明を救う、助けるという小四ですが、ことごとく挫折していく中で小四こそが救ってほしかったのではないかと個人的には思います。助けてほしいのにその欲求を無意識に抑圧せざるを得ない状況で、自分と同じように救ってほしいはずと思ってしまっていた他者から「社会と同じで私を変えることはできない」と告げられるときの混乱と絶望を思うととても悲痛だった

小四の周りには他者のコミュニティがバグった距離感というかそれこそ闇の中で急にそこに衝突してしまうような危うい距離感で存在しているのも印象的でした。中山堂のライブの熱狂の裏ではハニーが死に、小公園のライブイベントのスポットライトの裏では217との揉め事が起き、地続きの音楽がそういう表と裏の反転可能性を常に感じさせていて、容易に取り返しがつかなくなってしまうような緊張感が漂っていたように思いました。
そしてこの緊張感は大人の世界にもあって、父が帰ってきて異様な猜疑心に取り憑かれてしまったり、母に「辛すぎる」とこぼすシーンはとても重苦しかった
ぼやっとした主観ですがこの作品を観ている時、大人の苦悩は重さで感じて、夜間学校まわりの苦悩は痛みで感じるなぁと思った。

小四と父が自転車で横並びするシーンや、学校出たところで小明と小四が出会うシーン、は再びもしくは複数回繰り返され、時が進んでその状態が以前より悪化してしまい2度と戻らないことを強く感じました。
以上に限らず、ワンカットワンカットの相互作用がとても強く、デカめのボディブローずっとくらってるような感覚でした。
逆光の小四が部屋を見つめる→腕時計の箱→映画館の前でとりあえずお菓子を買う小四 のダメージはかなり大きかった....

再見して、以前はそんなに印象に残っていなかったのですが小虎の様子が今回かなり印象深かったです。バスケの試合でパスを受け取ってからのfollow、胸が締め付けられた。やり場のないフラストレーションがヒリヒリした。教室で王茂が席たったあとに何気に目がいく位置にいたり、土曜の集会の座席の位置も小四たちのすぐ後ろだったりして、その度にどこか抑うつ気味な表情を浮かべていて存在感がありました。
小虎に限らず驚いたことに被写体深度の調節とかしてないのに大人数の中でちゃんと目がいく場所に観たい人物がいる視線誘導があったように思います!
たらこパスタ

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