磔刑

タリーと私の秘密の時間の磔刑のレビュー・感想・評価

タリーと私の秘密の時間(2018年製作の映画)
4.3
「子育てはファイトクラブ」

面白かった。でも何が面白かったかを言語化し難い非常に不思議な作品だった。
リアルな演出が醸し出す雰囲気、地に足のついた演技によって映し出される母親の子育ての過酷さは見てて心地の良いものではない。が、そこにエッセンス程度に加えられるちょっと俗っぽいユーモアが程よい緩衝材になってて、独特な心地のいいハーモニーとテンポを生み出している。前半に映し出される地獄のような母親の生活に突然として現れる救世主のようなスーパー・ベビーシッター。そこからは一転して世界が変わったかのように見える演出も鮮烈かつ巧みだ。

「今時こんなに家事手伝わない旦那ありえんだろー」とか思うステレオタイプ過多の旦那の描写は凄い嫌味っぽいんだけど、「はい!次の場面移りまーす」ってテンポの良さがそう感じさせない。まぁ、言ってみれば家事、育児で奔走してる母親が旦那の事まで気にしてられない、ある意味無の極地、母親の完成形をカット割りで表現してるように思えた。片親でもなければ一度は目にするであろう、全く手伝う気もないのに「あれやらなくてええんか?」とか言う癖に自分は動こうとしない父親に対する「あーはいはい」って聞き流して黙ってやっちゃう母親の感じ。

タリー(マッケンジー・デイビス)の正体は一見、マーロ(シャーリーズ・セロン)の現実逃避に思えるが、そうではない。タリーのスーパー・ベビーシッターっぷりは若い頃の“何にでもなれた無限の可能性に満ちた自分”であり、“何にでも全力で取り組めたバイタリティの塊だった過去の自分”の具現化だ。つまりタリーによって後押しされ、輝きを取り戻すマーロの実生活は、過去の自分が今の自分を肯定し後押ししているんだと思う。
また、鬱屈し淀んで鈍色となった惰性が繰り返される日常に“白馬に乗った王子様”による救いを求めるのではなく、“小さくなり過ぎて忘れていた自分の中の可能性の力”によって切り拓く事は過去の自分と今の自分を肯定する凄くポジティブなメッセージであり、明日を前向きに生きる活力を与えてくれる。

自分は既婚者でもなければ母親でもないけど、すごくマーロとタリーに共感させられた。現状に不満はないけどなぜか満たされない日々の連続。いつのまにか色褪せてしまった自分の人生と可能性。そこに現れたタリーは劇的な変化や普遍的な幸せを運んで来てくれる訳じゃないけど、自分の生活にハリを取り戻すキッカケを与えてくれる存在のように思えた。言うなればちょっとした幸福で昨日と同じ景色も鮮やかに見えるような。
それに、マーロからすれば今の自分の生活はタリー(過去の自分)に胸を張って見せれるようなものではないと卑屈になってはいるが、タリーに「そうじゃないよ、今の君の人生は凄く素晴らしい」って言って貰ってるようで、それは最初から最後まで自己完結してる事なんだけど凄い救われた気持ちになる。

それにしれっとタイトルを綺麗に回収してるのにも肝心する。やっぱ女性にとって結婚で姓が変わるのは良くも悪くも特別なんやなと感じる。ファミリーネームが変わる前と後のそこに今と過去、変化を重ねるのがうまい。
とにかくタリーがマーロにとっての細やかな変化であったように、自分にとっても今作は明日の光景を少し違った景色に見せてくれるだけのパワーがある心に染みる良い映画でしたわ

『ダークナイト』にキャッキャ言ってる若い頃の自分(今でも『ダークナイト』でキャッキャ言いますけどね)だったら「なんやこの地味な映画。しかもまーた多重人格オチかよ😅」って風にしか思わないだろうけど、マーロのように日々の仕事を淡々とこなすだけの夢のない人間になった自分には非常に刺った。改めて自分が老いたなと感じる反面、歳を重ねたからこそ面白いと思える秀作である。
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