シュローダー

A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリーのシュローダーのレビュー・感想・評価

4.0
人は人生の意味を知るのを「待ち続ける」のだとしたら。この映画は、その意味を探求し続ける事に"なってしまった"男の孤独な旅路を描く。まずこの映画が始まって思う事は、異常にゆったりとしたテンポと、長い長い長回し撮影の多用だろう。決してセリフでは説明せず、演技の妙だけで感情を表現する。それが特に現れているのは、ルーニーマーラ演じる「M」がパイを食べるシーン。あの場面だけで、彼女が抱えた喪失と悲しみの深さが、見事に表現されている。そしてそこから、物語は予想外の方向へ舵を切る。ケイシーアフレック演じる遺された幽霊「C」の悠久とも言える時間の流れを、カットが変わるごとに時間をダイナミックに経過させるという斬新な手法によって表現したのも束の間、時間はとうとう近未来にまで進む。そして、CはMの想いを知る為に、時間を跳躍する事になる。この展開で連想したのは、やはりケイシーアフレックが出演しているクリストファーノーラン監督「インターステラー」だ。あれも、時空を超えた愛という話だった。そして、全体のテイストとしては、サミュエルベケットの「ゴドーを待ちながら」を非常に思い出した。この話はゴドー(Godot=God 神のメタファー)という男を待ち続ける2人の男の前に2人の浮浪者が現れる。という話を2幕やるという構造になっている。つまり、永遠の繰り返しとも思える人生の虚無感を描いている。この辺りが非常によく似ていると感じたのだが、映画内でも、途中に「どうせ全ては無くなってしまうのだから人生で何かを残す事に意味なんかない」と演説をする男が登場する。彼の言葉を聞いたCは怒り狂った事が示される。何故ならば、C自体も音楽家であり、Mは自分を遺して新しい人生を歩んでしまった。図星を突かれてしまったからだ。だが、この映画が提示する結末は、何かを遺す事の意味を肯定する非常に暖かい物に思える。Mが何を遺したのかは、最後まで観客に明かされる事は無い。これも、「ゴドーを待ちながら」で、ゴドーという不在の中心の正体は最後まで明かされなかったという点に通じている。だが、映画とは答えを提示するメディアでは無い。寧ろ、問いを投げかけるメディアである。説明台詞を一切廃し、映像で問いを投げかけるこの映画の姿勢は、純然たる「映画」本来の姿であるとひしひしと感じた。タルコフスキー的な映画が好きな方は文句なくハマると思う。観て損はしない一作