緋里阿純

羅生門の緋里阿純のネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

名作中の名作として語られている作品ながら、今まで未見だったため鑑賞。
一体何がこれほどまでの評価を受ける要因なのかと思い調べると、一つの出来事を複数の人間の証言によって描く手法や、太陽に直接カメラを向ける等の撮影手法の斬新さがそれに当たるそう。

肝心の本編に関してだが、冒頭の“土砂降りの雨の中、崩れ去った羅生門にて語られるとある事件の経緯”というコンセプトとビジュアルから既に抜群の格好良さ。

個人的には、人間の“醜さ”というよりも、その更に奥底にある“弱さ”を描いた作品であると思う。各々の立場から語られる事件の経緯の違いは、どれも自らの面目を守ることに必死で、実に醜く“弱い”。

旅法師が語るように、私自身もこの作品を通して人が信じられなくなる感覚に陥った。いや、まぁ、普段から信用してないだけなのだが(笑)

ラスト、「オラの家には子供が6人居る。7人育てるのも一緒だ。」と語り、捨て子を引き取る杣売りの男の姿にさえ、「本当に育てる気があるのか?後で旅法師の見えない所で赤子の着物を剥いで捨てるのではないか?そもそも、本当に子供が居るかどうかすら怪しいではないか?」と思わずにはいられない。

実際には、「体面ばかり気にして平気で自らを偽る人間の醜さの中にも、善行を成す美しさだってあるはずだ。」という人間への信頼を描いたラストなのだろうが、杣売りもまた高価な短刀を盗んだという悪事を働いていただけに、私としては信頼の中にも疑念が渦巻くという見事な塩梅として映った。

キャスト陣の熱演も見事。杣売りを演じた志村喬は勿論、多襄丸役の三船敏郎、金沢の妻 真砂役の京マチ子も素晴らしかった。特に、京マチ子さんは、金沢の証言内での多襄丸に見せたかつてない程の妖艶な表情のシーンが本当に作中1番の美しさだったから凄い。

古典的名作故、今観ると目新しさはあまり感じられないが、それでも面白いと感じさせてしまう辺り、やはり黒澤明監督は本物の巨匠なのだなと痛感。
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