やんげき

羅生門のやんげきのレビュー・感想・評価

羅生門(1950年製作の映画)
5.0
淀川長治さんがおすすめしていたので、観ました。
言わずもがなの世界の黒澤の原点ですが、その原点が実は「イタリア人がカンヌに応募して監督本人も知らぬうちに日本人で初めて金獅子賞を獲った作品」という超弩級のフックが効いた傑作。

たった一つの事柄を四者四様の各々がこうであったらいいと思う事実を語る。真実は結局、薮の中というお話。何が凄いって、三船敏郎、京マチ子、森雅之の演技の振り分けと演出のギャップ。

殺陣の演出一つとっても、豪気で公平で腕自慢の三船敏郎の様子と飄々とした森雅之の風切り音が聞こえて来そうな鮮やかな剣舞の後に、剣は腰にぶら下げておくものと言わんばかりのへっぴり腰の恐怖と見栄に挟まれた素人殺法を同じ二人が演じる。

そして、京マチ子は健気で気丈な女から淑やかで恥を知る女、浅ましく開けっ広げな女まで変幻自在にこなす。こんな映画は他にない。

それだけでも十分に凄いが、この四者が織りなす願望の姿を映し出した回想シーンがまた秀逸だ。人は自分をよく見せようと、悪いものを隠そうとする時必ず嘘をつく。全ての人間が嘘を織り交ぜて語ると分かっている話は、一体どう楽しむのが正解なのだろうか?

その彼岸から考える面白さがこの作品にはある。

それでいて、ラストの赤子のシーンでタイトル「羅生門」とmixしてくるのはさすがの脚本だ。人は己のために、人を見捨てることができるのか、あるいは己のために、人を助けることができるのか。

本作が持った命題の普遍さは、禅問答の様な究極の選択を促すものでありながら娯楽としても十分に楽しめるシンプルな私事である。

色々なパターンを言い合いながら、自分をさらけ出すのも面白いかもしれない。

私は現場に落ちていた赤地蔵の御守りが気になる。女が敢えて捨てて行った御守りならば、女は男達を焚き付けて戦わせている間にこっそり逃げ出したのだ。御守りを捨てるのは男を捨て一人で生きていく事を表している。
これは羅生門のテーマであるエゴとも一致するではないか。
では下人が言うことが正しかったのか?そうでもない気がする。男達は女をかけて正々堂々戦ったのではないか?そして女はそんな茶番に付き合いきれずたまらず逃げ出したのかもしれない。
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