開明獣

オン・ザ・ミルキー・ロードの開明獣のレビュー・感想・評価

5.0
ロバート・ゼメキス、ジュゼッペ・トルナトーレと並んで私が敬愛する映像作家、エミール・クストリッツァの現時点での最新作(ドキュメンタリーは除く)が本作だ。板を購入したほど愛好しているが、いつかは劇場で観てみたいものだ。

同胞が贄となった血を自ら浴びて跳ね狂う家鴨、ミルクに舌なめずりする毒蛇、音楽に合わせて巧みに踊るハヤブサ、鏡に映る己の姿に驚き卵を産む雌鶏、動物たちの奇妙奇天烈な振る舞いに囲まれて、主人公コスタは雨霰と降る弾丸をかいくぐって驢馬を疾駆させミルクを配達する。やがて戦争は停戦となり、シンコペートの効いたロマのフォークロアにのって、人々は狂喜し踊り明かす。

だが、平和は束の間のものだった。理不尽な多国籍軍の攻撃が始まり、村人は酷くも虐殺されていく。辛くも難を逃れたコスタは、同じく難を逃れた花嫁役のモニカ・ベルッチ(劇中では、彼女に名はない)とあてどもない逃避行に旅立つ。

冒頭からエミール・クストリッツァが紡ぎ出す不思議な世界に没頭してしまう。ボスニア近辺の民族紛争は複雑で根が深く、我々日本人には理解するのは困難だ。近年では、カナダ人の作家、スティーブン・ギャロウェイの著書、「サラエボのチェリスト」で取り上げられ、米国人作家、「ガープの世界」、「ホテル・ニューハンプシャー」で著名なジョン・アーヴィングは、その初期の作品「158ポンドの結婚」の中で、一部その民族紛争の凄惨な有様を扱っている。

クストリッツァ節全開のこの作品は、誤解されやすいが、いわゆる奇想を誇るようなポストモダン的なメタフィクションではない。悼ましい戦争が残す傷跡への深く、激しく、だが静かな怒りに鎮魂の歌を聴いた。戦争という絶対悪への諦めと憎しみなのか、それとも絶対悪をやめない人間への憤りと哀しみなのか。

最後のシーンが我々に問うものは何か。ロシアがウクライナへの侵略戦争という許しがたい蛮行を開始してからもう一年が経ってしまった。遠くから祈りの声が聞こえてくるようだった。
開明獣

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