TAK44マグナム

サスペリアのTAK44マグナムのレビュー・感想・評価

サスペリア(2018年製作の映画)
3.6
母なる魔女の慈悲。


ダリオ・アルジェント監督のアーティスティックに着飾ったオカルトホラーを、作品の大ファンだと公言するルカ・グァダニーノ監督が大胆なリメイクを敢行。
オリジナル版から基本設定だけを拝借、結果的に「似て非なるもの」が出来上がっていて驚きました。
「サスペリア」であって「サスペリア」ではない、みたいな。

正直、一度観た程度では何が何やらよく把握できませんでした。
かといって、159分という長丁場なのもあり、おいそれとリピートしたくなる代物でもありません。
ただし、鑑賞前は長尺だし、ホラー畑の監督でもないことから必要以上に身構えてしまっていましたが、そこまでダレることもなく、非常に魅入ってしまう映画でした。決して、つまらなくて苦痛ではありませんでしたが理解が追いつかず、詳細な解説書が欲しくなりましたよ。


オハイオ州生まれのスージーは、憧れのバレエダンサーであるマダム・ブランが在籍するマルコス舞踏団に入団すべく、独りでベルリンの地を踏みます。
オーディションに合格したスージーは快く迎え入れられ、折しも団員のひとりが失踪してしまった事もあり、無事に入寮をはたすのでした。
公演に向けての厳しいレッスンの日々を過ごすスージーでしたが、友人となった隣室のサラに頼まれ、失踪したパトリシアやオルガの資料を探します。
しかし、何故か彼女たちの資料は消えていました。

一方、精神科医のクレンペラー博士は、患者であるパトリシアが残した日記から、洗脳という「魔術」によって、ある種のファシズムが舞踏団で横行しているのではないかと考えていました。

やがて、公演の日がやってきます。
マザー・マルコスとは何者なのか?
3人の母とは?
絶叫をも飲み込んでゆく死の舞踏は、ついに恐るべき儀式へと姿を変えてゆくのでしたが・・・


まず、これがホラー映画なのか、そうでないのか?ですが、個人的な感覚ですと、一般的に語られる文脈でのホラー映画では無いのではと思います。
確かに恐ろしい内容であり、実際に残酷な殺人も描かれます。
六幕構成のうち、五幕までは沈んだように落ち着いたトーンで統一されているのが(グロテスクな場面は、ほぼ死の舞踏のみ)六幕目ではスクリーンを真っ赤に染めあげるかのように強烈なゴアが視覚を覆い尽くし、思考回路をショートさせようと死神が鎌首をもたげるのです。

しかし、その視覚的な残酷性は本作において、さほど重要ではないのかもしれません。
それよりも現実社会の方がよほど恐ろしく、どちらかと言えばバレリーナたちは外の脅威から守られているといっても過言ではないのではないでしょうか(寮母たちの怒りを買わなければ、という前提はありますが)。
それは言い過ぎかもしれませんが、かつてナチスが支配し、分断された77年当時のベルリンを舞台に選んでいることからも、まだファシズムの残り香が根強かった社会が何かしら物語に作用しているのを想像できます。
そういった社会で生きる女性たちに伝承される存在が「恐怖でもって恐怖を打ち破る」、一種の怪異な英雄譚ともとれる物語だと思えました。
ナチス(ヒトラーもしくは高官たち)=ヘレナ・マルコスとすれば、異様なファシズムから女性たちを解放する神話だとしても不思議ではないでしょう。


主演のダコタ・ジョンソンは身体を限界まで苛めぬくような激しいダンスをはじめ、微妙な心理描写や強くて繊細な女性像を大熱演。
エロティシズムも溢れる、新たなスージー・バニヨン像を確立しております。

また、ダンス指導者のマダム・ブラン役であるティルダ・スウィントンは一人三役をこなしていて、どれもが要となる役どころ。
ブラン役以外は特殊メイクで、ほとんど本人の面影がない為、言われないと分からない。

パトリシア役のクロエ・グレース・モリッツは、アイドル的な女優像の殻を破るかのごとく、顔をほとんど露わにしません。
出番は少ないながらも、プロローグにおいては精神が破綻した役で強い印象を残し、終盤ではショッキングな姿を見せます。

その他、サラ役のミア・ゴスの柔らかな雰囲気と重苦しい絶叫は忘れ難く、オリジナル版の主演であったジェシカ・ハーパーも意外な役で登場、オリジナル版へのリスペクトを感じさせます。


意味ありげなショットが連発されるのもあって非常に解釈が難しく思えますが、ひとつ確かなのは、選挙ではよくよく慎重に、責任をもって投票すべきだという事です。
それはナチスを第1党に選び、(第一次世界大戦から低迷した経済を建て直した手腕があったとはいえ)アドルフ・ヒトラーに総統という地位を与えてしまった安易なドイツ国民にも、事なかれ主義で無責任な(自分を含む)我が国の皆さんにも当てはまりますね。
「嘘つき」に騙されてはいけません。もっと慧眼を鍛えないと。
更に混迷を極める現代に生きる我々にも、「神話」が必要なのかもしれません。
もしかしたら、監督は本作をその「神話」として、世界が間違った方向へ向かわぬようにメッセージを伝えたかったのでしょうか?
たとえ民主主義にのっとって選挙で選んだとしても、ファシズムは生まれるのだと。
「サスペリア」のリメイクで語るべきテーマなのかどうかは微妙なところですが・・・。


折れる骨。
変異する肉体。
血に染まる儀式。
そして、贖罪と再生。
恐ろしくも慈悲深い魔女。
歪で、狂った世界に革命がおき、愛という罪に赦しを与える物語。
最後のスージーが見ているものは何なのか。
彼女を見る我々なのか?
それとも分断され、混沌とした世界そのものなのか?
分かりません。
分からないまま、劇場のライトが灯り、現実世界にグイッと引き戻されました。
まるで異世界での旅が終わり、悪夢から醒めるかのように。

全てを理解するのは困難。
ハマればハマるだろうし、受けつけなければ二度と観ないのが無難な作品でしょう。
オリジナル版への思い入れが強ければ強いほど、受け入れがたいような気もします。
ホラーという括りに拘らない鑑賞がお勧めです。
出来れば1人ではなく、誰か気軽に感想を話し合える誰かと観て考察し合うと良いかと思いました。


劇場(TOHOシネマズ海老名)にて