IMAO

女であることのIMAOのネタバレレビュー・内容・結末

女であること(1958年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

弁護士・森雅之と妻の原節子は受刑者の娘・香川京子を養っている。そこに学生時代からの友人の娘、久我美子がやってきて、この家庭に波紋が起きてゆく…
原作が川端康成ということもあり、女性の心情はとても巧く描けていると思う。一人一人のキャラクターに、全ての女性の思惑が分散されている。香川京子には恋人がいるが、自分の親が死刑囚だという負い目があって、積極的になれないでいる。だが、久我が家に来たことで逃げ場がなくなり、恋人と同棲することになる。しかし恋人は所詮は学生で彼女のことが重荷となり、結局はこの二人は別れることになる。
一方、原節子は昔つきあっていた三橋達也と17年ぶりに再会する。自分の幸せは一体なにか?と問い直す。久我美子は自由奔放に見えて、自分のことが今ひとつわかっていない。愛すること、愛されることに飢えていて、自分を支える他人を求めて、皆を振り回す。でも誰も悪人には描いていない。その辺りがこの物語の巧みさだと思う。

それにしても香川京子、この役似合ってるな〜。東宝映画の脇役としては定番の中北千枝子もバッチリ!この当時の映画だから、かなりセットとかが良く出来ている。森の家は多摩川沿いにあるが、多分この映画のために作られたセットだと思う。前に『パラサイト』で、家を一件建てて凄いとかいう話があったが、この当時の日本映画ではこの程度のセットは当たり前だったのだろう。この高台にある家は、玄関からいきなり階段で降りる様になっていて、この物語のステージとしてたびたび登場する。森の事務所もセットだが窓外には隣のビルが建築中のという設定になっていて、その辺りもキチンと作り込まれているのは日本映画最盛期を感じさせられた。
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