トモロー

さよなら、僕のマンハッタンのトモローのレビュー・感想・評価

3.9
①驚くほど傲慢に、乱暴に、純真無垢に人々と相対していく主人公

カラム・ターナー演じる主人公、トーマスは20代半ばで、古き良き文化と風景が失われつつあるニューヨークの一角に住んでいる。

素朴な彼にはガールフレンドがいる。でも彼女はトーマスのことを、一夜限りの相手と言い放つ。なぜなら、彼女には恋人がいるから。

トーマスの父親は出版社のトップで、夜は友人を集め優雅でハイソな宴会を催す。しかし彼には、とても美しい愛人がいた。

うだつの上がらない人生に辟易しているトーマスは、彼のアパートの隣室に引っ越してきたW.F.ジェラルドと名乗る老人に、その思いをたどたどしくも語り出す。

スクリーンの中に映るトーマスは、まさに「平凡な男」をそのまま絵に描いたような雰囲気。

その平凡さと今の境遇にあえぎながら、淡々と過ぎる毎日でちょっとだけ冒険的な人生の苦味を味わう。当初僕は、この映画はそんな風に過ぎるんだろうと思っていた。

でも、今作のストーリーはそんな生易しいほろ苦さではなかった。

父親の愛人の存在を知ってからの彼の、これまでの境遇への苛立ちを爆発させるような行動の数々は、「お前、30分前のあのうだつの上がらない感じはどこに行った!?」と突っ込まざるを得ないほど、暴走に暴走を重ねる。

あれだけ理性的に見えた彼の姿は存在しない。生まれて初めてマスターベーションを覚えたティーンエイジャーのように、自分の欲求をありのままぶつけていった。

よく言えば素直、悪く言えば単純、もっと悪く言えば傲慢に過ぎる彼は、まさに当たり屋さながらの暴走劇を繰り返し、後先の考えない言動を繰り返す。

その様子は爽快というより、ただただ「不安」ばかりが募る。一体、これだけあけすけに暴れまわった彼は、どんな終着点を迎えるの??

こっちの心配をよそに、トーマスがあたり一面にまき続けたむき出しの感情の種は、登場人物たちそれぞれの傷や核心を、乱暴にさらけ出していくトーマス。

物語も半ばにさしかかった頃、頭の中はクライマックスへの不安感で頭がいっぱいだった。

②唐突かつ大胆に訪れる物語の急展開に、ざわついた心がゆっくりとけていく

しかし、その瞬間は突然やってきた。

トーマスから見れば、人生への憂慮などないかのように見えた大人たちに、埋めることのない穴が心にぽっかり開いているのを知る。

悲嘆にくれていると思っていた近しい人が、実は自分の想像をはるかに上回る苦しみの中に生きていたのを知る。

すると突然、観客を戸惑いの極致にまで追い込んだトーマスに、とても素敵で温かな瞬間がやってきたのだ。

あのシーン展開は、思わず真っ暗な劇場内で「おおぉ〜…」と声を漏らしてしまったほど。

そのクライマックスに訪れる真相を感じさせるワンシーンは、確かにあった。ただ今作は、その真相の1つ手前にも答えあわせがあり、そこで一度、観客は安心させられる。

これはもしかしたら、僕の思考の浅さが起こすミスリードなのかもしれない。

でも、途中まで明らかに「失敗だったかな…」と思うようなこの映画が、このクライマックスの一瞬で好きになってしまった。

序盤から中盤にかけてのトーマスの変貌ぶり。そしてその後の傍若無人な振る舞いは、一方で好ましく思えない人がいるかもしれません。

でも、そういう「揺らぎ」に逆らえない、愚かとも言えてしまえそうな人間味が、最後にはとても愛おしく感じるから不思議です。

人生って何をやっても裏目に出ることがあれば、何気ない言動全てがピタッとハマることもあります。

自分ではどうにもできないもどかしさと、人生の難しさ、そして素晴らしさ。今作はその妙味を、下品さも上品さもたっぷり込めて描いていました。
トモロー

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