はまたに

ラッカは静かに虐殺されているのはまたにのレビュー・感想・評価

3.8
この映画をゴールデンウィークで賑わう渋谷の映画館でクーラーガンガンに効かせながら観てるっていうシチュエーション自体が、なんとも悪趣味なインスタレーションという感じ。ラッカは静かに黙殺されている。黙って殺される。

これを観て、移民排斥運動が起きないほどには移民を受け付けないでいる日本人(私)が思うことに、真実味は少ないだろう。数日だけ意識が高くなって、その後は再び黙して語らず。「『君の名前で僕を呼んで』最高だった!」とか性懲りもなく書き立てるに違いない。

薄っぺらく描写される報道なんちゃら賞でのパーティーも、アメリカのロビー活動ってあんなもんでしょとしか思わなかった。フォーマルな社交の場で、笑顔とシャンパンを交わしながら重要なことが話し合われ、大切な段取りがなされていく。有意義な人脈(味方)も作り上げる。あれもまたRBSSにとっては重要な戦いなのだ。実際、受け取った盾はブックシェルフに堂々飾られている。

自分は常々、ボランティアや慈善活動において大切なのは「祈る心より差し伸べる手」だと考えている。両方あれば文句なしだが、どちらかであれば間違いなく後者である(というか自分には常々前者が欠けている)。

本作を「目撃」した私たちができることは、祈ったり心配したりすることよりも、イスラム国にメディア戦を仕掛けるRBSSのFacebookにアクセスし、いいねを押してシェアをすること。Twitterもやっているようならアカウントをフォローし、積極的にリツイートすることだ。

どのくらいの鑑賞者が、それをしただろうか。ていうか誰か、やった?

どれだけ熱を込めて感想を書いても、それは自分の心に手を差し伸べているだけだ。彼らに、あるいはシリアや中東情勢に与することはさほどない。彼らのメディア戦に加担しない、あるいはしたとしても長続きしない自分を明確に意識しているからこそ、上映中、最悪に座りが悪かった。リツイート押すくらい、なんでやんねーの? やれんじゃないの? って言われ続けてるようだったから。なんでやんないんだろう。きっとまだ自分の内に留めておく程度の「腫れ物」なんだろう。覚悟がないんだろう。

映画としての後味の悪さでは前日の『ラブレス』もよっぽどだったが、自分に向けられた後ろめたさは本作の比ではない。

ということで、なんか意識高くなる間もなくシュンとしちゃったんだけど、意識も低く覚悟もない自分ができる「差し伸べる手」は、適切な対応をしてくれるかもしれない政治家を選ぶことくらいかなと思う。

銃がなくても国を変えることができるのはいいことだ。そんなことを思いながら(そう気を紛らしながら)、もう1本観るつもりだった映画をキャンセル、気候最高のゴールデンウィークの雑踏に紛れてそそくさと帰宅するのでした。

今日も中東では虐殺が起こり、僕たちは黙殺の日常を生きていく。
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