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ダンボのokomeのレビュー・感想・評価

ダンボ(2019年製作の映画)
3.5
「興味を持つ事は科学の第一条件」
「それが出来ないなら、知る資格はないわ」


ティム・バートン監督作品の特徴と言えば?
ゴシック趣味、ブラックユーモア、はみ出し者たちの悲哀……色々あるけれど、自分が何より強く感じるのは、そのほとんどが「父と子の物語」であると言う事です。

『シザーハンズ』のエドワード、『バットマンリターンズ』のペンギン、『チャーリーとチョコレート工場』のウィリー・ウォンカ、そして『ビッグフィッシュ』のウィル。
皆大なり小なり父親との確執を抱えていて、和解によってそれを解消する事、もしくは逆に強固な枷としてしまう事で物語の行く末が決定付けられる。
その確執の原因は、往々にして父と子、お互いの「個性」の衝突に端を成します。それは翻って監督自身の子供時代や、将来の夢を巡っての出来事が反映されているんだろう、それこそが彼が作品を通して描きたいものなのだろうと思っていました。


しかし近年、そんな作品群の中で、明らかに異彩を放つ作品が2つ登場しました。
1つは、2016年の『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』。
この作品の中で、主人公のアリスは冷徹に思えるほど全てに於いて公平な「時間」と言う概念を理解し、「父親は死んだ」と言う事実を受け入れます。そして、子供時代の象徴とも言えるワンダーランドの友人たちと決別するのです。
父親との思い出そのものであるワンダー号を
「ただの船よ」と言えるまでに成長したアリス。
その姿は、何だかティム・バートン自身がこれまでの作風からの脱却を望み、父親との関係性に基づく子供時代のしこりみたいな物から開放されたような、そんな予兆を感じさせました。

そして、同年のもう1つの作品、
『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』で、その予感は確信に変わります。
この作品のテーマは、父親ではなく「母親」。
あまり目立ちはしないけれど、一貫して良妻賢母として描かれてきたティム・バートン監督作品の母親たち。父と子両方の個性と対立せず、無条件で受け入れる優しさに満ちた存在。
ミス・ペレグリンもその例に漏れず優れた人格の持ち主で、様々な異能を持った子供たちを自分の庇護に置いています。あまつさえ時間を操る力まで使い、永遠に繰り返される1日の中で、彼らがずっと子供でいる事を許すと言う、過保護とも取れる包容力を見せる人物です。

そんな彼女が、とある事件によって姿を消してしまう。残された子供たちは、急遽自分たちだけで恐ろしい敵に立ち向かう必要に迫られます。
とても無理だと思われた難題を乗り越える力となったのは、ペレグリンが大事に守ってきた子供たちの異能=個性そのものでした。そうして彼らは素晴らしい活躍を見せ、遂に目的を果たします。
しかし、ペレグリンは姿を消して以降、物語が終わるまで子供たちと再会する事はありません。今や自分たちだけで意思決定し、行動出来るようになった彼らを、遠くから誇らしげに見守るだけです。
これは明らかに、ティム・バートンの子供時代からの脱却の裏付けだと自分は受け取りました。


これら2作で描かれた、
父親との確執の解消と、母親の庇護からの卒業。
その両方を兼ね備え、綺麗な結論を見せてくれたのが、今作の『ダンボ』であったと感じます。

母親を亡くし、それでもたくましく生きる術を模索する姉弟と、旧懐から抜け出せず子供の自立を認められない父親。
そんな親子を取り巻く、賑やかだけれど、どこか寄る辺ない寂しさを感じさせるサーカスの団員たち。
彼らがお互いを理解し、心を繋いでいく切っ掛けとなるのが子象のダンボ……いや、正確には、彼という存在に込められた、物言わぬ母親象の想いです。

ダンボを出産する直前に、サーカス列車の窓から見えた、空飛ぶ鳥の群れ。
鎖に繋がれず自由を謳歌するそれに対する彼女の憧れが、そのまま我が子の身体に宿るのです。
「大きな耳」という奇形。
これまでもティム・バートンの作品で伺い知れた、身体的障碍に向けられる眼差し。
ありのままの自分を何も恥じる事は無いという優しい見解が、今作では更に「親からの贈り物である」という説得力を持って描かれます。

だから、ダンボが力強く空へと羽ばたいた瞬間は、この上なく感動的です。
何度も繰り返される度に、母親の想いの強さを体現するように、そのスピードはぐんぐん上がる。

主人公の親子も、サーカスの団員たちも、一貫して母性の不在に寂しさを抱いていたからこそ、言葉にせずともそんなダンボの姿に共感し、勇気を得たのでしょう。
そして同時に、お互いがそこにいる意味、誰もが誰かの想いの上に存在しているという事を理解出来たのだろうと思います。

「自分の力を信じる」、それは大事だけれど、その力は何から与えられたものなのか、きちんと考えなければならない。そんな教訓も、今作には込められていると自分は感じます。
それを正しく受け取ったからこそ、親子はお互いを認め合い、団員たちは自信を取り戻す事が出来た。
しかし、それが叶わなかった仇役の描かれ方だけが、ちょっと心残りでした。
明らかにディズニーの儲け主義を批判したような描写とマイケル・キートンのビジュアルは滑稽でしたが、それを〝懲らしめる〟だけでその後のフォローが何も無かったのが可哀そうだったな……。
彼もウィリー・ウォンカみたいに、改めて誰かを想い、想われる幸せを知る切っ掛けを与えられていれば、文句なしに最高だったんですけどね。


ともあれ、ティム・バートンの作品はまだまだこれから面白くなるぞ! と感じさせてくれるような、
意欲的で素敵な作品である事は間違いありません。
個人的には、「何か素晴らしいものを作りたい」と言っていた発明家志望のお姉ちゃんが、ラストシーンで初めて人前で披露した発明が「映画」だった事が、何より1番の萌えポイントでした。
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