「あなただけは私を幸せにしてくれると思ってたのに」
『アイ・トーニャ』とか『MOTHER』とか、毒親を描いた作品は数あれど、同じ題材でも作り手によってこんな悪趣味なファンタジーになるんだという事に妙な感動を覚えました。
美少女が酷い目に遭って追い詰められていく様子を見物したいとか、人気Youtuberの虚飾を晒して炎上させてやりたいとか、他人の胸糞を安全圏から鑑賞したいとか、そういう欲求を密かに抱いている紳士淑女にうってつけの作品です。お好きでしょ?ねえ?
1200人のオーディションから選ばれた主演のシーリ・ソラリンナは本当に完璧な「儚げな美少女」のビジュアルでもって期待以上の(演技的にも)過酷な状況に追い込まれるし、母親役のソフィア・ヘイッキラは上っ面だけの笑顔とそれが剥がされた時のリアクションが超強烈。とにかくこの2人がバンバンその欲求にこたえてくれるので、あとは観客が自分に正直になるだけです。ほら、認めなさいって。お好きなんでしょ?
さて、そんな皆さんの趣味嗜好は置いといて、この作品、寓話としても良く出来ているなと思いました。
テーマは、「親の願望を満たす道具として扱われる子供」。
そして、それが連鎖していく業の深さ。
作中で描かれる母親は、極めて独善的で、家族に対して支配的。
彼女を突き動かすのは稚拙な承認欲求ですが、その原因が夫婦関係にある事が何となく察せられます。自分の殻にこもりがちで、事なかれ主義で相手と目を合わす事すらしない夫。配偶者と十分なコミュニケーションが取れない無意識下のストレスを、彼女は「幸せな家族」を殊更演出して他人にひけらかす事で発散しようとしている。
そして、そのための一番のお気に入りの道具が美しい娘のティンヤなんですが、何が悲しいって、ストレスの捌け口として散々好き勝手に扱われても、それでもティンヤは母親の事が嫌いじゃないのです。
「母親を嫌いになる」という自由すら与えられていないから。
だから健気にも、ひたすら母親のストレスを消し去ろうと要望に応えていく。自分を押し殺して、褒めてもらうために頑張るけれど、でも結局それは報われない。
夫婦関係という全ての元凶――ティンヤが母親のために、何よりも維持させたかったもの、それが破綻する決定的な瞬間を目の当たりにしてしまった事で、それまで抱え込んでいたティンヤ自身のストレスが、一つの異形となって“孵る”。
生まれた異形を、ティンヤは「アッリ(水鳥)」と名付けて献身的に世話をしますが、アッリは、まるでティンヤが母親に対してするのと瓜二つの行動を取ります。
即ち、ティンヤのストレスの捌け口になること。
彼女の苦痛の原因を消し去ろうとし、彼女が押し殺す感情を代わりに爆発させ、そして彼女に褒めてもらおうとする。
そんなアッリに、ティンヤは自分と同じ服を着せ、自分そっくりに育てるのです。
母親にすべてをコントロールされてきたゆえに、そういう愛し方、愛され方しか知らないというのがまた悲劇であり、皮肉でもある。
更に悲惨な事に、次第にアッリの行動に手を焼くようになって、自分の平穏を脅かされると、ティンヤは愛していたはずのアッリを徹底的に拒絶してしまう。
その平穏とは何かと言えば、「母親の理想世界を維持すること」。
結局ティンヤにとって幸福とは、母親から解放されることではなくて、あくまで母親の願望を叶えた先にしか想像すら出来ないものなのです。
まさに出口のない無間地獄。
しかしティンヤは、最終的には自身が本当は心から欲していたもの、「親の愛情」をアッリに捧げて、そこからようやく解放されます。その顛末は起こるべくして起こった悲劇だけれど、それでも救いと感じ取れてしまうのが何ともやるせない。
かくして、この寓話はビターな教訓を示して終わり――
で済まないのが、この作品のいいところ。
無間地獄に取り残された母親の元には、彼女がずっとティンヤに求め続けていたものが残されます。
それは、綺麗で空っぽなお人形。
彼女はそれを使って、これからも嬉々として地獄の続きを行っていくのでしょう。そんな確信めいた胸騒ぎをもって、物語は本当の終わりを迎えます。
この、母娘の選択の相違と、何よりもそれに説得力を持たせる二人の眼差しが心にクリティカルヒットしてしまって、結局2回観に行ってしまいました。
断っておきたいのは、僕は純粋に作品のテーマ、そして文学的な表現に惹かれたのだという事です。
決して趣味嗜好は関係無いんですよ。
なんですか、その目は。