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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのokomeのレビュー・感想・評価

5.0
「この映画に出てるの!」


タランティーノ監督について自分の抱く印象は、とにかく「自分語りが巧い人」。
これまでどんなものを観て聴いて、どんな演者やシーンに影響を受けたかを、一切包み隠さずそっくりそのままスクリーン上にぶちまける。
全編通して本当にそれだけ、登場人物たちのセリフですら好きな作品や音楽について延々と喋らせるという徹底ぶりなのに、何故か一本の作品として纏まって見えてしまう。

その理由はとにかくサンプリングのセンスがとんでもなく優れているという事が大きくて、大概は観ているこちら側が欲しいと思うタイミングで最高の絵面がバシッと気持ち良くキマる。
かと思えば、「ここでそうくる!?」というような絶妙な〝ハズし〟の演出も要所要所でピリっと効かせていたりして、そのスタイリッシュとチープの匙加減が妙に洒落ていて最高に心地良い。
そんな語り口に乗せられて、気が付けばどこまでも彼の「好きなもの自慢」に付き合ってしまう。だから、タランティーノ作品を評する時、多くの人が口を揃えてこう言うのだと思います。
「映画愛に溢れている」と。
そりゃ、毎度これだけ付き合わされればそう言わざるを得ませんよね。


もちろん今作もそんな内容でしたが、ただその「好き」の表現の仕方が、これまでに比べてずっと感傷的なように思いました。
「これ超カッケーだろ!?」と見せびらかすというよりも、「これ良かったよな……」と思い出に浸っている雰囲気というか。全体的に監督個人の郷愁の念を感じます。
特に強く伝わってきたその念の対象は2つあって、まず1つは当時のハリウッドという町について。
彼自身がインタビューで幾度となく語っていますが、今回舞台に60年代のハリウッドを扱うというアイディアは、自分の幼い頃の記憶をありったけ詰め込む事と同義だったそう。
かつて車の中から見たロサンゼルスの街並み、そこにどんな映画館があって、どんなポスターが張ってあって、その時ラジオからどんな音楽が流れていたか。その全てが鮮明に思い出せると言います。

タランティーノ監督が〝映画〟や〝ポップカルチャー〟を意識した原風景、それが今作ではスクリーンいっぱいに再現されているのです。
だから、そこから伝わってくる多幸感は半端じゃなく大きい。
単なる映画体験という言葉だけでは表現し切れない、まるで実際に夢の国ハリウッドを見聞きする幸福を何も知らない現代の観客自身も噛み締められるような、そんな稀有な感情が沸き立ちます。

そしてもう1つは、そんな「夢の国」ハリウッドを夢の国たらしめていた、時代そのものに対する郷愁でした。
60年代後半という時代は、ベトナム戦争に対する世論やヒッピーカルチャーの流入で、ハリウッドの価値観が大きく変わったのだと言います。いわゆるカウンター・カルチャーと表現されるもので、社会的な緊張の高まりが、これまでの画一的な勧善懲悪を描くハリウッドスタジオ制作の作品を受け入れ難いものとして扱い始めたのです。
しかし、今作で描かれる60年代最後の年には、それでもまだハリウッドに「夢」を見られる余地が残されていたのではないでしょうか。

自分が感じた余地、具体的に言えばそれは、映画とそれに関わる人間に宿っていた「無垢」と「自由」の精神でした。
作品の中で、自分の登場シーンをワクワクしながら待ちわびる事が出来る無邪気さと、他人にどう思われようと今を好きに生きてさえいられればラッキーだという達観。
言うまでもなく、象徴的にそれを体現しているのが主人公の2人、リックとクリフです。

演じたレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットの素晴らしい実在感は今更語るに及ばずといった感じですが、2人を取り巻く周囲の人々も、彼らとどこか似通った、緩やかで心地よい人情をじんわりと滲ませます。
時代に取り残されそうなリックが再び活躍できるよう、恐らくアル・パチーノ本人の展望に限りなく近いセリフで勧誘するイタリア人のプロデューサーや、難癖を付けながらも何だかんだクリフに仕事をくれるスタントマン・コーディネーター。そして、過去のスターの今の演技を、「私の人生の中で最高の演技だ」と賞賛してくれる未来の大女優。
誰しも、彼ら2人を過去のものと葬ろうとはせずに、受け入れようという姿勢を見せるのです。
それを観ていると、「無垢」と「自由」の精神は、きっと今後もハリウッドの映画に息づいていくのだろう、そんな希望を抱いてしまいます。

しかし、現実はそうならなかった。
ある日、他でもないハリウッドの内側で起きた凄惨極まる一つの事件が、映画から完全に「夢」を奪い去ってしまったのです。
これ以降、世に出る映画は俗に言う〝ニューシネマ〟、ハッピーエンドの存在しない陰鬱な作品ばかりとなってしまう。


今作に於けるその事件の渦中の人物、シャロン・テートの描き方は、もう涙が出るほど素晴らしい。
演じたマーゴット・ロビーの溢れんばかりのキュートさはもとより、ただ事件の被害者としてしか知られていなかったシャロンの日常をじっくり追う事で、その人となりを仮にではあっても掴む事が出来る。そこで知れる彼女は、リックと同じように自分の出演する作品を誇らしげに鑑賞し、クリフのように奔放に今という時を謳歌する、確固とした一人の愛すべき人物なのです。
絶対に死なせたくない、罪の無いただの女性として、観客の心にしっかりと刻まれる。
しかし、残酷にも運命の時はやってきてしまう。
それが避けられない現実だと知っているからこそ、僕らは真に迫って彼女の人生について考え、そして同時に潰えるであろう「夢の国」の郷愁に、胸が張り裂けそうな気持ちになるのです。

昔々ハリウッドで、「無垢」と「自由」がお互いに別れを告げようとした最後の日。
一体何が起こったのか。
今作で描かれたその結末にこそ、タランティーノ監督の深い深い「映画愛」を、改めて実感せずにはいられません。
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