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ジョーカーのokomeのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0
「言ったって理解出来ないさ」


「悪のカリスマ」ジョーカー。しかし、なぜ彼はそんな形容でもって呼ばれるのでしょうか。
カリスマがカリスマたる所以、言い換えれば彼の魅力の根幹。
それこそ人によってそれぞれ感じる部分は違うと思いますが、自分は何よりもその「得体の知れなさ」にあると考えています。
年齢も国籍も不明、自身の口から語られる過去も、様々な媒体で描かれる来歴もまちまちで、何一つ確かなものはない。
狂っているように振舞ってはいるけれど、果たしてそれが真性のものなのか演技なのか判断がつかず、心情を窺い知ることすら出来ない。
強烈なビジュアルで凶悪な犯罪を繰り返す、一見奇抜な存在でありながら、彼個人の事を説明しようとすると、ただ「誰でもない男」としか言い様が無いのです。

で、そんな「誰でもない」彼がとる行動、様々な犯罪を通して投げかけてくる主張というのが、この上なくモラリスティック。
彼はとにかくこの世に蔓延る欺瞞が許せなくて、良識とかモラルとか、そう言った表面上安穏に見せかけている諸々の集団幻想を暴きたくて仕方がない。
社会という枠組みの外から、「お前らが後生大事にしているその約束事なんて、本当は全く無意味だぞ」とこちらの常識に揺さぶりをかけてくる。
自らを「狂気の権化」、「混沌の使者」などと表現しますが、まさにその通り。
彼は一個人というよりも、人が社会から足を踏み外す切っ掛けとなり得る「思想」そのものとして暗躍するのです。
だからこそ、彼はバットマンに執着する。蝙蝠のコスプレをしてピエロを追い掛け回す、馬鹿げたヒーローに。
もうとっくに常人の道から外れているにも関わらず、それでも「正義」なんて不確かなスローガンを掲げる滑稽な男に、己の欺瞞を認めさせるために。
その一種痛快ですらある悪辣さ、自分という主体を持たないのに主張と行動は一貫しているという、「概念の擬人化」とも言うべき強烈な存在感が、とても魅力的に感じられるのです。

だから、今作でジョーカーのオリジンが描かれると聞いた時、自分は正直嫌だなと思いました。
例えば、同じようにオリジンを描いた作品に『キリングジョーク』というグラフィックノベルがあります。あれもお話としてはとても面白かったけれど、ジョーカーの内面を理解してしまった事で、バットマンを自分と同じ場所に落とそうとする彼の行動が、実は同類を求める哀れな男の懇願としか見る事が出来なくなってしまいました。
ジョーカーが本来持っていた底の見えない怖さを消してしまう、カリスマを一人の人間として定義し直す事に、どうしても抵抗があったのです。


しかし観終わってみれば、今作もこれはこれでとても怖かった。
その理由は、陳腐な言い方ですが、「誰でもジョーカーになり得る」。これに尽きると思います。
主演ホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技の賜物で、ジョーカー=アーサーの内面が分かり過ぎる程に理解出来てしまう。
社会の底辺に追いやられた者の悲哀や怒り、そして孤独が、まるで鏡を見ているように、身につまされるようにこちらと同調を強いてくるのです。

危ないな、とも思いました。
弱い者を徹底的に苦しめ、元から少数派など無かったかのように消し去ってしまう劇中のゴッサムシティは、まさに現在の社会と陸続きの様相。
緊縮財政で社会保障が縮小されたイギリス、法人の優遇税制で貧富の差がさらに拡大したアメリカ、そして消費税増税で不況に拍車をかける日本。
世界中のそこかしこで、ジョーカーが誕生する下地は既に出来上がってしまっているのでしょう。
それが証拠に、今作にはホアキン・フェニックスの演技に対する絶賛と同じくらい、ジョーカーに「共感した」という感想が寄せられて、空前のヒットを飛ばしているのです。


貧困や苦しみに喘ぐ世界の中で、何とか真っ当に生きよう、良い人間になろうと、背を丸め、一歩一歩踏みしめるように長い階段を登っていたアーサー。
しかし遂に耐え兼ね、堕ちるところまで堕ちる事を選んでしまう。
そうなってからはもう早い。嬉々として踊りながら階段を駆け降りて、自分を苦しめた体制を撃ち殺しに向かっていく。
本来のジョーカーの悪辣さとは異なりますが、これも確かに痛快でした。
謂わば、限りなくダークな『Let It Go』。
しかし、「ありのままの自分を見せるの」と言った端から固く扉を閉ざしたエルザと同じように、アーサーだって本当に「これでいい」なんて思っていなかったはずです。
だって、その証拠に彼はジョーカーになってからもずっと、メイクの下では涙を流していたのだから。
誰か一人でも優しくしてくれる人がいたら、寄り添ってくれる人がいたら結末は間違いなく変わっていたでしょう。
劇中ずっと望まない笑いに苛まれていた彼が、最後の最後で見せた本心からの笑顔が、諦めからくる苦笑だというのが本当にやるせない。

本当に必要なのは欺瞞に満ちたヒーローではなく、ただの親愛なる隣人なのだ。だから、せめて自分は周りの人に優しくなろう。
何とかそう呑み込まなければ自分の身の置き所に困ってしまいそうな、重ね重ね危ない作品でした。



「強大な力の前では、我々は慎ましく笑い合うだけの努力が必要だ。もしくは、いっそ狂うべきだ」
――チャールズ・チャップリン
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