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風をつかまえた少年のokomeのレビュー・感想・評価

風をつかまえた少年(2019年製作の映画)
3.0
「賢い鳥だ 自分で巣を作ったぞ 仲間を守るために」


良い話なんだろうなと思って観に行ったら予想通り良い話だったんだけど、単純に「良い話だった」という感想を抱く事が果たして本当に良い事なんだろうかと考えてしまう、そんな作品でした。
なにワケの分かんない事言ってんだって感じですけど、要はこの作品、自分には掲げられているテーマと実際に描かれている物語が上手く合致していないと思えてしまったという事です。

じゃあ具体的に、この作品のテーマってなに? と考えてみると、それは「『常識』からはみ出る勇気」ではないでしょうか。

舞台となるマラウィという国。
アフリカの最貧国と言えるそこでは、ほぼ全ての国民が農業に従事して自給自足の生活を送っている。
暮らしの良し悪しは常に天候に左右され、それを補う満足な設備も、政府による援助も得られない。
頼るところは部族同士の人的な繋がりと、前時代的な祈祷ばかり。
そんな中で、主人公ウィリアムは「風力」という科学に未来を見出し、それを形にするために奮闘する。
これまでの生活には存在しなかった全く新しい発想に至ったウィリアムの慧眼。そして、それを実現させるため自分が得た知識を信じて行動を貫いたその信念こそが、この作品のキモなのだと思います。

当たり前ですが、ウィリアムが周囲と比べていかに異質かという事を描くには、同時に「マラウィの常識」をしっかり描かなければなりません。
一番大切だと感じたのは、「自然には勝てない」という、どこか古来の日本にも通じる観点。
確かに前時代的で迷信深くありますが、同時にとても思慮深い人々の考えが反映されたものなのです。

自然とは寄り添うものであり、そこに畏怖の感情があるからこそ、彼らは大地や空に祈りを捧げるし、皆で団結して災害を乗り越えようとする。
自然を制御したり、無視しようなんて考えは端から持ち得ていない。だから、実のところウィリアムの行動は非難されて然るべきなのです。
これまでの慣習を壊す彼の試みは、木を伐採して売れと言った資本主義の連中と同じく、自然に逆らうものと見なされてもおかしくはないのだから。
本当は逆らうのではなく味方につける術なのに、誰にも理解を得られない。今まで一緒に生活してきた人たちから非難を受けるのは、大の大人であっても怖いもの。
それでもウィリアムは、皆を飢饉から救いたい一心から行動を止めなかった。そこが感動的なのであり、その気持ちが皆に伝わってこその大団円だと、自分はそう感じました。


でも、実際に物語で描かれていたのは、マラウィに根付く民族性でも自然が引き起こす災害の恐ろしさでもなく、「家族同士の諍い」でした。
ウィリアムの行動を阻害するのは常に父親一人で、いかにこの父子が対立し、関係を修復していくかに終始問題がすり替わっていた印象。
言ってしまえばとてもアメリカンなホームドラマで、別にこれわざわざマラウィを舞台にしなくても良かったのでは? と思ってしまいました。
そもそも、丸々太った子が「昨日は太鼓の皮しか食べてない」なんてセリフを吐く時点で、その国の本当に悲惨な状況を描く志を放棄しているのは一目瞭然ですけど。
風車が完成した事で貧困が全て解決したかのような演出といい、題材に対して真摯な作品だとはお世辞にも言い難い。

何が一番嫌かって、これに文部科学省をはじめ各種教育機関がこぞって推薦を出してるところ。
ひとつの国に根付く思想や飢饉の本当の恐ろしさに全く切り込まない、こんな単純な娯楽作品を前にして、ご大層に何を学べと言うのでしょうか。
ウィリアム・カムクワンバという秀でた資質を持つ人物一人を取り上げて、「だから教育は大切だ」、「世の中には学校に行きたくても行けない人がいるんだぞ」なんて言ってのけるのはそれこそとんでもないエゴだと感じてしまう。

ああ、だから僕は学校が嫌いだったんだなと、かつての自分を再発見するいい機会になりました。
わあ!良い話だなー!
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