かなり悪いオヤジ

夜の流れのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

夜の流れ(1960年製作の映画)
3.6
いつまでも過去を引きずる女と過去を断ち切って前を向いて歩き出す女。この二項対比的シナリオは成瀬巳喜男お得意のパターンだが、後者のパートを共同監督の川島雄三に任せたらしい。女の描写については定評がある2人だけに、シーン毎に別人が監督をつとめたとは思えないほど、1本の映画としてまとまっているように感じられる作品だ。

前者を代表するのが、山田五十鈴演じる藤村あや。料亭『藤村』の雇われ女将で、実はシベリア帰りの板前五十嵐(三橋達也)と秘密の男女関係にある。その五十嵐も、抑留という過去を未だに引きずっている死にたがりの亡霊だ。芸者仲間の一花(草笛光子)に金の無心をしながらつきまとう前夫野崎(北村和夫)、男にふられて自殺未遂を繰り返す紅子(市原悦子)もまた過去を引きずるサイドの登場人物だろう。

後者の代表が、あやの娘美也子(司葉子)である。『藤村』のパトロン(志村喬)の娘忍(白川由美)やピエロ的存在の芸者キンタロー(水谷八重子)、呉服屋の滝口(宝田明)と一緒に新しい店を出す一花たちとともに、お座敷仕事の息抜きにプールやジャズクラブ、ダンスホールへと繰り出すのである。いかにも川島雄三らしいテンポのいい明るいタッチが、美女軍団の放つノーテンキなオーラと絶妙のコラボを見せている。

しかしある晩、美也子が想いを寄せている五十嵐の見舞いにやってきた時に見てしまうのだ。足の手術をした五十嵐と母親がベッドの上で抱き合っている姿を......同じ男を母親と取り合っていたことに一瞬ショックを受ける美也子だったが、さすがアプレ代表の女、「あんたみたいに過去を言い訳にする男が女を不幸にするのよ」とすぐさま吹っ切るのである。に対し一花は過去の亡霊にとりつかれ無理心中、あやは店をやめ神戸に渡った五十嵐の後を未練たらしく追いかけるのである。

ラストシーンは、過去へ戻っていくあやの後ろ姿と、芸者の御披露目に挨拶に回る美也子の未来に向かっていく姿を対照的に写し出す。「私美也子でお座敷に出るわ。名前を変えると別の人になったみたいで」表と裏を巧妙に使い分ける大人のいやらしい姿をさんざん見せられた美也子は決心するのである、ありのままの姿で現在(いま)を生きると。2人の巨匠は、もはや戦後ではない日本の姿をそこに見ていたのかもしれない。