ちゃこ

15時17分、パリ行きのちゃこのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
3.9
事件自体に不必要な派手さはなく、主人公三人がドキュメンタリーさを際立たせる。これが、本当にあったんだ。

「実話を基にしたフィクション」として映画化された事件はあるが、どこまでが本当でどれが脚色なのか分からず、結局、映画の世界での出来事として受け取ってしまう。この映画は主人公の三人が、これが現実なんだと教えてくれる。

「大きな目的に向かって人生にみちびかれてる」

「主よ、私を平和の道具にしてください。憎しみには愛をもたらし、いさかいには赦しを、疑いには信仰を、絶望のあるところに希望を、闇のあるところには光を、悲しみには喜びを。人は与えることで赦され、死ぬことで永遠の命に甦るのです。アーメン」

不思議な力が彼らを導いたと解釈しても良いし、彼ら自身がこの結果を導き出したと考えても良い。

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同監督作品『アメリカン・スナイパー』を劇場で見たことがある。あれは、平和ボケした私にとってすごい迫力だった。平和、戦争、9.11、テロリズム、PTSD…… 子供の頭をドリルで突き刺すシーンが頭から離れない。ラストのシーンで主人公と出かけていったアラブ系(?)の男性の悪魔のような恐ろしい顔も。これは、見てよかった作品。それ以降度々、私に良い影響を与えてくれている。イーストウッド映画の影響力、恐るべし。ハドソン川も見たい。

こんな自分には祈ることしかできない。自分の中に何かしらの信仰はあるのに、宗教観が薄くなっていることが悲しい。すがるものがほしい。絶対的な存在がほしい。むしろ、特定の宗教に属していないのなら、それぞれについて学び、自分なりの解釈をしたい。影響されやすいタイプだから気をつけないと。

アメリカでは「神様を信じるか」と聞くのはタブーだと、以前池上彰の番組で取り上げていた。でも日本だって、自分の信仰をカミングアウトするのはなかなか勇気のいることだと思う。つい空気を読んでしまう。手を合わせたい時に、ちゃんと行動に移したい。

見えない力を感じることって、すごく動物的というか本能に即していると思う。美しいものに感動する、体を動かす興奮、たくさん笑う、光を浴びる、あえて静かな時間を送る、愛情を注ぐ。どれも見えない力が働き、自分自身をパワフルにしてくれる。そもそも、力学的にもエネルギーは目に見えないんだから(せいぜい火や炎くらい?)何にだって力は働いてるのよ。目に見えるエネルギーってなんだ?速度?高さ?回転??頭こんがらがってきた。

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【以外メモ。ネタバレあるかも?】

シングルマザーって、こんな扱いを受けるの?ADDの可能性、奥行知覚、人生うまく行かないことは何度か起こる。スペンサーは自分たちを平凡だと言う。でもこういう事件の時にとっさに動ける人は、そうじゃない人と何かが違うんじゃないかな。正義感、判断力、冷静さ、訓練?三人の過去の点と点が線となり複雑に絡み合いこの時に結ばれた感じ。

飾りすぎない演技と見せ方。きっと現場で導入の仕方が上手いのだろう。指導とかではなく、雰囲気を作ったんだ。

スペンサーの軍人さんへの憧れが見える。表情の向こうに羨望の眼差しがある。本人だから。これもきっと監督が引き出したんだ。

窓の外を見る癖は高校生?になってもまだ。

ビデオ通話がリアル。画面が止まってた。ブブッと

ヒトラーの自決

ラスト30分くらいまで小出しにされる

3人の友情が熱い。エモい。最近だとなんていうんだろう。

自分もあれほどのけがを負っているにもかかわらず。首から血を出して、親指が切れかけて。

逆にどこまでが本人?三人と、打たれたマークとその奥さんイザベルまでかな?

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テイク数が少ない監督。自然な演技がしやすそう。

打たれた彼は俳優かと思った。マークはアメリカン。奥さんイザベルは英語が訛ってるからフランスの人?

三人のコンビネーション。正義感と互いの信頼。

クリント「演技は本能的なもので特別な知識は必要ない。我々が雰囲気を作れば演者は集中できるし奇跡も起こす。」
「事件は彼らのカタルシスになっている。」
「運命にどう対処するかを描いたんだ。」

スペンサー「僕らは監督に絶大な信頼を置いていた」
イザベル「監督は私たちを信頼してくれた」

製作ティムムーア「三人の面白いところは仲が良くても性格が全然違うところだ」

製作中の映像に三人の仲の良い様子がある。仲良し組って、楽しそうにしてると周りをほっこりさせるよねえ。

停車してる時に撮影。
実際の電車で撮影。

ス「撮影だってことを忘れた」
ア「撮影というより再現。あのときの興奮が蘇った」

イザベル「撮影中に何度か辛くなった。」
ちゃこ

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