「プロレスはセックスに非常によく似ている」
セックスした、してないで朝まで生テレビ!するおはなし。
スティーヴン・ソダーバーグが初期に『セックスと嘘とビデオテープ』という映画を撮っておりましたが、やはりセックスの話が絡むと人間、ヒートアップするもんで。もちろんやってたときも、あちらがヒートアップしたんでしょうけども、冷静になった時が一番恐ろしいものなのです。
アントニオ猪木の言葉通り”プロレスはセックス”と受け止めれば、「なぁ~んだ。プロレスしたのか」と頷いて終わるものだが、モチロンそんなことにはならない。
この映画は一見すると、「やったのか?」と詰め寄る男の主張が筋の通っているように見える。しかし、はじめに”隠し事をしない”という約束じたいが、かえって懐疑心をうむきっかけになっていることに気づいていない。
アメリカの偉い人は言っておりました。「懐疑心は多くの歓びを奪い、しかも何も返してくれない」と。
わたしならこんな野暮な約束事はしない。だって、隠し事のない全裸よりも隠されてる方が魅力的じゃないですか。全裸のタイミングは相手から脱いでくれる、脱がすから興奮するのです。さいしょからスッポンポンではいけません。はじめからスッポンポンになれるような人間のほうがかえって怪しいと思うものです。
気づけばすっかりスッポンポンのお話になってしまいましたが、映画はそういったことはおこりません。
安心してください、はいてますよ。