あんじょーら

万引き家族のあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

万引き家族(2018年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

私は正直、家族がそれほど素晴らしいモノではない、と考えていますし、感動巨編、とか泣けるを謳った映画に好んで足を運ぼうとは思いません。家族なんて血の繋がった他人でしかないし、まぁ良く言う話しですが、現代日本では殺人事件の50%を超える確率で血族間起こっているわけですし。とは言えこの数字もかなりヘンテコな数字で、殺人事件に至るほどの関係性が生じるのは痴情かお金でしょうし、それってそもそも濃密な関係があるからこそな訳で。それでも2018年の日本ではまだ家族は機能していますし、私だって両親がいるから存在する事が出来たわけです。でも、それでも、家族ってだけで、もたれかかったり、共依存関係を肯定する事は私には出来ないし、家族を持ちたいという感覚もそういえばほぼない、世間から見ればちょっと変わったオッサンのただの戯言ですが、是枝作品という事で観に行きました。


でもこれからも少子化は続くと思うし、結婚制度はどんどん趣味化していくと思うし、人間はどんどんわがままになっていくので、この流れは変わらないと思うけどね。




東京、うっすらとスカイツリーが見えるくらいの下町。かなり朽ちかけた平屋の一軒家に、日雇い労働者の50代前半とおぼしき男(リリー・フランキー)、クリーニング屋で働く30代後半の女(安藤サクラ)、90歳になろうかという老人(樹木希林)、ショウタと呼ばれる10歳前後の男の子、身ぎれいでアキと呼ばれる20代前半の女(松岡茉優)が暮らしている。この一見家族に見える集団の日常を描いています。リリー・フランキー扮する男とショウタはスーパーでの万引きを常習的に行っています、働いてもいるけど、かなり生活が厳しい事がその家の散乱事情から透けて見えます。ある冬の夜に、4歳くらいの女の子がアパートの外で寒そうに佇んでいるのを、親切心から家に招きいれてしまい・・・というのが冒頭です。


とにかく参りました。まず役者、その全ての人の演技がマジスゴイです。4番さんを演じた池松壮亮さん、紙の月の演技も凄かったけど、ちょっとこの演技は凄すぎる、多分2~3分の出番であっても、恐ろしいくらいの爪痕です。ってか同じくらい全員が凄い演技です。正直1番コミカル過ぎて少々浮いてるくらいに感じるのが樹木希林さんですもん、私の印象だと。警察官を演じた高良健吾さんの、シンゴジラで魅せた官僚映えもかなり光ってます、この方も数シーンだけですけど。また嫌な役回りを演じている池脇千鶴の、正義の側に自分がいる事を確信しているからこそ振りかざせる正論のオノのふるいっぷりも凄まじいです、この方も数シーンしか出てこないんですけど。緒形直人さん、久しぶりに見たけど、相変わらず予備校ブギを思い出しちゃったじゃないか。でもこのよそよそしい感じ、良かったです。


こんな具合に出てくる役者全員が、物凄く良かったです。特に当たり前ですけれど疑似家族を演じた5人(樹木希林はちょっと落ちる)は誰もがベスト、と言いたいですけど、中でも1番好きなのはショウタを演じている子です。ちょっとあの眼差し、指クルクル、髪型、もう存在そのものが凄い。是枝監督の子役指導は本当に凄いけど、この子を見つけてきたのが本当に素晴らしい。正直誰を主人公に置いても成立する映画ですけれど、この子の主役感が凄い。まっすぐさ、誠実さ、犯罪行為だと理解しつつある意識の変化、妹としての受け入れてからの、純粋な庇う気持ちの芽生え、あと大事だから書いておくけど、おっぱいに対する興味等、本当に子役に見えないです、というか演技じゃなく自然すぎるし眼差しがまっすぐ過ぎて本当に怖いくらい。その上あの走りも凄く良かったし、カメラが下から撮ってるのも凄くイイと思いました。スイミーの話しが泣ける。ショウタは1番成長していると思う、大人の理屈を完全ではないけれど察する事が出来て、それを飲み込んでいく様、最後にオジサンとなった人の追いすがりに振り返らないんだけど、声が聞こえなくなって初めて窓の方を見る演出は本当にぐっとくるものがあった。彼が出演しているなら、そんな映画は観に行かねばならないではないか!


リリー・フランキー、もうこの人肩書きは役者で良くないっすか?このどうにも改善する気が無いダメなオジサンでも、心に何か秘めている感じを出せるのってあんまりいないと思います。垂れた尻とか、妙な痩せ方も最高です。ダメなんだけど許せる愛嬌と、心底ダメな部分とのリアリティが半端ないです。


安藤サクラさん、私には「愛のむき出し」が強烈すぎて、基本的にはあまり好きなタイプではないんですけれど、今回は凄い、認めざるを得ない。そして好きになりました。あの、子どもが泣くときの、声にだしちゃいけなくて泣くときの、目から水がただ溢れて漏れてくる感じを映画で、大人で見たの初めてだと思う。ただ溢れてくる、本当に悲しい時しか多分出来ない水の流れ方だと思う。エロい場面のエロさも、ちょっとびっくりしたし、映画内ではこの人が主軸であるのは間違いないんだよね。結局、罪を償ってるのもこの人だけだし。


松岡茉優さん、私には桐島部活止めるってよの凄く意地の悪い顔した女の子だなぁ、と思っていたのですが、これがもう全然違う人にしか見えないです、マジで役者さんってすげぇ。何この人の光り方!ええっと、私そういう店に行ったことはないけど、しかもなんで動いてるのか?マジックミラー越しなのか?何が楽しいのか?全然理解出来なかったけど、この人が膝枕してくれて、同情ではないシンパシーからの感情を込めたハグしてくれるなら俺も行っちゃいそうですよ。それぐらい凄かった。この人の役柄で最も重要なのは、私の勝手な思い込みかも知れないけど、容姿の美しさではなく、とんでもなく暗い瞳だと思う、ある種の絶望を経験しないと出せない瞳の暗さだと思う。それがマジであるんだもんね、スゴイとしか言いようがないし、後半、無人になったかつての家の扉を開けるシーンに、顔はほとんど写ってないんだけど、あの瞬間、BGMの細野さんの凄さも相まってなんだろうけど、私は風を感じ、埃の、生活の匂いを嗅ぎました、映画館でこんな体験ができるからこそ、みんな映画を見に行くんだろうと思います。


アキと4号さんの邂逅、4号さんの、悲しみしかない顔、何処にも行けない嗚咽しか出せない悲しみの裏側はどんな悲惨な状況なのか?全く不明ですが、おそらく相当な現実があるんだろうと思います。だからこそアキと何かしらのシンパシーがあったのであろうと思われるシーンは凄く良かったです。



そしてリン役の子役の眼差しの低さ、うつむき加減がずっと続く不安、その後儀式を経てからの自らの発話、<兄>への慕い、<母>との傷跡の共有、集団の中に入った安心感からこみ上げる喜びの微笑み、髪の毛を切る事で、洋服を燃やす事で、過去といっても僅か4、5歳の、生みの親への決別、もう怒涛のような展開なのに、この引き受ける事で生き残ってきた、謝る事で生き残ってきた、そしてそれしか知らない子どもの存在は、映画封切とほぼ同時に起こったネグレクト殺人事件の子どもの「ゆるしてください」を想起せずにはいられない。絞りだすような声、抜け落ちた歯、ギャップがあるからこそ感じる笑った声から感じられる幸せ感がたまらなくリアルだった。




ストーリィ上、たしかにこの疑似家族は、間違いなく犯罪を犯していますし、特にリリー・フランキーの役柄は反省もないし、罪を償ってもいないし、それを本当の意味では認められてない。この現代日本でも生活に困窮している人はもっと困窮しているし、路上生活者がゼロになったという話しも聞かないし、マジなリアルワールドで弱肉強食な世界です、そりゃサバンナでの類人猿としての野生生活よりは社会的に法に守られた世界だけど、それでも、理想郷ではないし、困っている人が居るのも事実です。そんな中で犯罪に手を染め、ショウタからの学習の機会を奪い、犯罪行為に関わらせる様は本当にヒドイ。ついには車上荒らしをはじめ、ショウタが妹の存在を認めたからこそ<犯罪>を意識しだして、罪の重さに気が付きつつも、その兆候に全く気が付かないリリー・フランキー扮する男はどうしようもないダメな男だと思います。その飲んでるビールなりなんなりを我慢すれば、もっと良かったんじゃないか?とかを思わせる程度には、最底辺とは言えない生活だとも思う。この辺が本当に絶妙なポジションだと思う。食べるものに困窮していて住み家が無い、まで行くと万引きという行為を超える免罪符を手に入れやすい、生きていけないから。しかし、少なくとも家があり、共同生活に、疑似家族になりつつあるこの集団についてはそこまでの免罪符は手に入れてないように思う。柄本明がそれをちゃんと見せてくれてる。


しかし、それでもなお、私はこのリリー・フランキー扮する男を糾弾出来ない。何故なら、彼は他に方法を知らなかった、知っていても<恥じる>気持ちがあり、手を挙げる事が出来なかったんだと思う、犯罪歴がある事への、現代日本での疎外感を考えると、私はこの男を単純に糾弾出来ない。困っている子どもに手を差し伸べる事の出来るこの男を、罵ることも出来ない。ペラペラと警察に話し始めるこの男の底の浅さを笑えない、取り返しの効かない年齢に達している事を悟っている目を突き放す事が出来ない。何故なら私が同じ状況に陥ったら、恐らく万引きをしてでも生き延びてやろうという根性もなく、寒さに凍える幼児を助ける気概も無いから。自分を優先して、集団を守る事も出来ない。それでいて何かが出来るような気もしない。しかしリリー・フランキー扮するこの男には愛嬌があり、大変底は浅いが家族に対する見栄と同時に庇おうとする能力がある。しかも自然と身についているように見える。自分から能動的に動く事にはさもしい動機が目立つが、受動的な動きには利他性の感情が芽生えているのが何と言ってもいい。しかし劇中この男は全然成長しないし、ショウタに対して「父親」役を降りてしまうのが、なんとも儚いが、そこがこの男の現実との着地だったのか?と思うと、さらにまた哀しくなる。


安藤サクラ扮する女の現実もまた大変厳しい。なけなしの働きで現金収入もあるが、貧すれば鈍す状態。仲間内はそれなりの結束かと思えば、仕事を失うとなれば簡単にその仲間を売るような職場にいる。過去の犯罪歴では正当防衛が成り立っているとはいえ、犯罪歴は犯罪歴、かなり厳しい状況なうえに、子どもを持つことが出来ない、らしい。子どもを持つことが出来ない悲しみについては、私にはよく分からない。が、かなり悲しい事実ではあると思う。疑似家族を形成する動機にこの女の隠れた欲望は、あったかも知れないが、それでも最初は誘拐だ犯罪だと騒いでいたのも事実である。おそらくネグレクトと虐待が色濃く疑われた事実を知って、それでも1度は基に戻そうとしたところでの身勝手な実親の口論を聞いて、自身も経験があるかのようにも受け取れられるニュアンスを入れておいて、疑似家族集団へと受け入れる。リリー・フランキーの儀式が万引きであったのに対して、安藤サクラの儀式は散髪と以前の生活の僅かな名残である服を燃やす事だったし、この描写は見事。ありったけの、無条件の何かを必要とする子どもに与えられていたのはどちらの親であったか?は言うまでもないと思う。子どもの成長に必要な何かを提供出来ていたわけだし、その生活を誰よりも楽しんだのが安藤サクラなんだと思う。だから疑似夫婦であったとしてもリリー・フランキーを庇う事が出来たんだと思う。ショウタへの、決別を決定的に引き受けるのも、安藤サクラだった。





映画のラストショットのまなざし、その直前の歌、実の母親の育児放棄とほぼ同義の扱いと子供だまし・・・実母にも同情すべき案件があるのかも知れないが、映画内では語られていないが、それでも、あの子ども騙しの会話のやりとりを経て、あの、飛び立った<集団>への邂逅の場所から、もう1度出ていきたい、あの場所に戻りたい、という何かを感じずにはいられない。特に「隣る人」を観てしまった人には共感して頂けるであろう何かがあり、そして私はこの子のこの先の不幸を、キツさを、<集団>から<家族>にもどす事の暴力性を感じずにはいられない。




あ、この映画を見てから、ずっとゆでトウモロコシが食べたいです。出来れば、こんな私でも誰かと食べたい、と思わせるそんな映画。今のところ今年のベストです。


そして、現実には家族持ちたいという希望も無いし、甲斐性もないし、相手もいないが、それでも、こういった疑似家族ならば、足を踏み入れられる気がするし、この疑似家族のオジサンになら、なれそうな気がする。恐らく今後の未婚社会が進めば、この手の疑似家族の形態のうちのひとつに分類されるんじゃないかな?犯罪抜きで。

今日は仕事しながら丸1日、ずっとこの映画の事考えてたし、まだ尽きないんだけど、この後まだ仕事あるし、宴会も出なきゃいけないしで、この辺で。