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バイスのokomeのレビュー・感想・評価

バイス(2018年製作の映画)
4.5
「私は謝らない」


実際に十万人規模の死者が出ていて、今もなお様々な苦しみを生んでいる、その元凶を描いた作品に対して不謹慎極まりない事を承知で言わせてもらえば、メチャクチャ面白かった。
どこが?って、主人公のディック・チェイニーが権力を握っていく過程そのものです。

お飾りの様な副大統領の立場を、何のしがらみも無く動き回れる絶好のポジションと捉えたその慧眼。そして、実権を握る為に必要な、無能なトップを見事釣り上げてみせる駆け引きの巧みさ。これらの秀でた能力を発揮するに至った根本には、単なる飲んだくれのダメ男を奮起させた妻の存在が非常に大きい。だからいつまで経っても妻にだけは頭が上がらないという、その背景もひっくるめて自分はとても「魅力的」だと感じました。

副大統領に就いてからの行動力の苛烈さ、戦略的に着々と味方を配置して影響力を広げていく様子にも正直すごくワクワクさせられました。
主要な部署全てに自分の執務室を用意して、神出鬼没にどこにでも姿を見せたというエピソードも、
まさしく「影の首魁」らしさ満載で格好いい。

言葉の言い換えによる大衆への印象操作や、「驚異を感じたから攻撃出来る」だとか「憲法で禁じられているから(今行っている監禁・尋問は)拷問ではない」なんて言う、屁理屈みたいなロジックゲームを嘯いて法を〝自分のために〟改定していく。
そうやって国と言う大きな存在が、一人の男の権力欲によってひっそりと動かされていく様子は、「ワイマール憲法がいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気付かなかった」と言う麻生太郎の発言を想起させられます。しかし、まさにその好例を目の前で見せられているにも関わらず、感じるのは相変わらずチェイニーの狸っぷりの見事さや、それに手玉に取られる周囲の人たちの滑稽さです。

そうやって娯楽として面白がって観られる理由は、間違いなく風刺としてのセンスが優れているから。
国民にとってはトラウマでしかない自国の汚点。
日本人の自分たちにとっても他人事ではない惨状を、偽エンドロールや、唐突にシェイクスピア調に切り替わるセリフ、そして共和党支持者の典型的な「良きアメリカ人」が語るナレーションなど、映画の構造自体を利用したメタ的な「笑い」を潤滑剤にして直視させる。勿論、各々本人そっくりに変身した演者たちの熱演も、その狙いに華を添えます。

しかし、終始クスクス笑いながらもふと思ったのは、「これは一体何に対しての風刺なんだろう?」という事でした。


理念もなく、ただ己の欲のみを優先させて好き勝手やったチェイニー副大統領は間違いなく悪いやつ。
しかし、この作品はそんな彼をこき下ろすというよりも、むしろそれを通して観客を挑発する事を目的として作られているように自分は感じました。
その証拠に、例えば権力を手にしたチェイニーが、フィクションの悪徳政治家のように飽食に耽る様子などは一切描かれません。
彼について仔細に描写されるのは、「ありふれた男がいかにして力を手にしたか」その一点のみです。代わりに、彼が力を得ていくのを易々と許した、目先の利益と情報に踊らされる一般大衆は、はっきりと痛烈に批判されています。


権力を濫用する一人の人物を悪く言うのは簡単だ。
でも、そいつにすらまんまとしてやられた自分たちが、いざ同じ立場になったら?
「悪人」と罵る彼と同じ轍を踏まないと、どうして断言できるのでしょうか。


それを痛感したのが、最後の『ワイルドスピード』のくだりです。
あれは、「都合の悪い事からすぐ目を逸らして享楽に走る」愚かしさの描写であると同時に、もう一つ意図があるように思えました。
今作を観終わった直後であれば、きっと誰もが「見ていない所で世の中が変わっていく怖さ」を感想として抱くでしょう。そこであの、娯楽の象徴としての『ワイルドスピード』への言及を見せられれば、「ああ、身につまされるな」と我が身を反省する。それは当然の成り行きです。
でも、よく考えれば、それが罠なのではないか?

「『ワイルドスピード』は素晴らしい作品だ!
映画は俺の生きる活力だ! バカにするな!」

別に、そう腹を立てても良かったはずです。
なぜそう思えなかったのでしょうか。
世の中の惨状に心を痛めたから。 本当にそれだけ?
印象操作、されてない?


名もなき一般大衆として、半径10㎞圏内が平穏であれば「世は事も無し」。
そうやって日々生きていますが、「自分は何が好きで、何が嫌いか」、そして「それは何故か」を問う意思は無くしたくないものです。世の中に蔓延る〝バイス〟に惑わされないようにするためにも。

アダム・マッケイ監督は、日本の映画製作者たちに向けて、インタビューでこう語っていました。

「1つ言えるのは“権力を疑え”だ。監視を怠れば政府は暴走する。クリエイターであるならば、権力を疑うのがまず最初の仕事だ」。

それに対して、映画に限らず様々なものを享受する側として、自分は少なくとも以下の警句だけは常に心に留めておきたいと思います。


「しかし、誰が見張りを見張るのか?」
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