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来るのSsknのレビュー・感想・評価

来る(2018年製作の映画)
1.0
今年のワーストです。
まず、原作との比較抜きで悪いところ。
この監督は映画にそもそも向いていないのではと思うほど演出や脚本が酷いです。映画というものは、場面説明や感情表現を画面に映るモノや登場人物の仕草など言葉以外で表現できる特別なツールです。
しかし、この映画はそういった「言葉以外で語る」のがめちゃくちゃ下手です。
画面の構図や出てくる美術一つ一つに「理由」が感じられませんでした。
あのオムライスは何の意味があるんでしょうか?何度も出せば作品の芯になると思ってるんでしょうか?最後の最後にお金かけてCGであんなもの作るのにはそれなりのテーマに関わる理由があったんでしょうか?
ホラー映画なのにポップなオムライスが何度も出てきて可愛いでしょ?というギャップを狙った演出ならこの映画自体の品位を落としていると思うので本当にやめていただきたいですセンスないです。
BGMもそうです。霊媒の儀式のシーンでHipHopを流すのは何故ですか?確かにキューブリックの2001年宇宙の旅では、核ミサイルを載せた衛星を映した恐ろしく仰々しいシーンで敢えて爽やかなクラシックをかけるといったちぐはぐな演出がありましたが、そういうのをやりたかったんでしょうか?だったらぶち壊しなのでやめた方がいいと思います。印象が合わないものを合わせたらギャップが産まれてセンス良く見えると思ったら大間違いです。せっかくの緊張感が台無しになっただけです。
あと、あんなに血糊大量に使う必要ってあったでしょうか?真琴あれだけ出血してたら命ないですよ。非現実的なだけで安っぽいです。数日経った現場の血が綺麗な赤だったんですが、普通は酸化してドス黒くなるはずです。そういうところがヌルいです。

次に、原作との比較も交えてテーマや内容に踏み込みたいと思います。
結局、監督はこの映画で何を伝えたかったんでしょうか?「痛みだけが真実」ですか?「見栄っ張りは良くないよ、体裁だけじゃなくてちゃんと家族を大切にしろよ」ってことですか?
原作ではぼぎわんという怪物が産まれた経緯が民俗学的に解明され、何故田原がぼぎわんに狙われたのかといった理由づけがされました。それが「一見パパ活してる良い父親だけど実際はDVをする男」「子どもが出来ない身体故に、普通の人々を憎む雑誌ライター」といった設定と複雑に絡みあう事で話に強靭な説得力が産まれていました。しかし、この映画ではぼぎわんはただ「ホラー映画ですよ」という薄っぺらいアイコンにすぎず、大して実体感もなくその背景には感情も過去も何も感じられず、最後まで正体も目的も分かりません。
登場人物の生活や心情を掘って深みを出したいのは分かりましたが、130分使ってこれらが全く回収されないのはどういう事でしょうか?
原作の要素をつまめば勝手に辻褄が全部合うと思ったんでしょうか?
原作では「おやま」「ぼぎわん」「田原のDV」「子供の頃の記憶」「おばあちゃんの発言」全てに意味がありました。しかし、映画においてはそれらは回収されないため何の意味も持ちません。「原作にあったパーツ」として出てくるだけで、ストーリーとは繋がりを持たない無意味な要素に成り下がっています。
金かけてCGのオムライスとか出してないで、こういう物語の筋をちゃんと補強してくれなければ物語が物語である意味がないです。

この監督さんはビジュアルに特化していらっしゃるのでしょう、オープニングとかとてもかっこよかったです。でも、見た目や派手さばかり強調しても出来上がるのは不細工で中途半端な作品です。
この映画を評価している方もたくさんいらっしゃるので、好きな方はちゃんといるんだと思いますが、正直なところ大好きな原作を大切に扱ってもらえず自己主張の道具にされたという印象で非常に憤っています。

役者さんの演技も非常に良かったです。小松菜奈さん超可愛かったですし、柴田理恵さんの演技は圧巻でした。ちょっと泣きそうになりました。それだけに、本当に惜しいです。

題名が「ぼぎわんが、来る」から「来る」のみになったとき『これは敵の正体不明感をより演出し、観客に得体の知れない存在を能動的に想像させ恐怖を煽る素晴らしい手法じゃないか!』と思って期待したんですが「ぼぎわん」自体を描くことを最初から放棄していただけのようです。

以上、まだ言いたいことはたくさんありますが、このシリーズが続く可能性があるならぜひ最高の形でリベンジしてほしいと願っています。
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