ずどこんちょ

アイネクライネナハトムジークのずどこんちょのレビュー・感想・評価

3.6
伊坂幸太郎のこの複雑に絡み合う人間群像劇が好きです。
時を経て、伏線回収のようにいろんな人たちの人生が交差していきます。それでいて、それぞれのエピソードが優しい。人間の善意を温かくしてくれて、もうほんとくすぐったいぐらい優しい。
それがたまらなく愛おしいのです。

本作でそれぞれの人々の人生ドラマに関わってくるのが、ウィンストン小野という一人のボクサーの果敢な挑戦。
彼自身のドラマも描かれているのですが、このボクサーに人々が想いを乗せて試合を見守っているのです。
彼が試合に勝ったら告白する……そういう人に自分の人生を託した願いを他力本願だという見方をする事もできますが、世の中には他力本願でもいいから背中を押してくれるきっかけがあると救われるという人もいます。
自分では決断できなくなってしまったり、悩むことに疲れてしまったり。そういう社会で、人に願いを託すことがあっても良い。
くぅーー……この視点が、伊坂幸太郎らしい優しさと粋を感じられて好きです。
誰かの考えが間違えていると丸付けするのでなく、そういう人もあっていいという懐の深さ。
マリアナ海溝より深いその包容力の中に飛び込みたいです。

作中では悪意を持った人もいます。
本当に小さな事件ですが、例えば有料の駐輪場で人の買った駐輪シールを自分の自転車に貼り替える人とか。
些細なことですが、街中で見かけたり、自分が被害者となるとイラッとするやつです。
そういう悪意に対しても、やっぱり本作は優しくて、例えば警察に突き出したり、暴力で脅すなどという解決策には至りません。ちょっとした嘘で引き退らせるのです。それだけ。誰も傷つかないし、誰もが救われます。どこまでも優しい……

それと、「家族になる」きっかけの難しさと、「家族を続ける」難しさが描かれているのも興味深かったです。
当たり前のように皆、父と母が出会い、自分が生まれてくるわけですが、その出会いこそが難しい。
主人公の佐藤は今そこで悩んでいます。友人の一真はノリと勢いで結婚して家庭を作ったタイプで、佐藤とは正反対。だから佐藤はチャランポランな一真の事を尊敬できるわけです。正しくは、一真にもノリと勢いの裏に確かな行動力もあったわけですけど。
そんな中、佐藤の先輩も妻子が実家に帰ってしまいます。そのきっかけは、聞いてみると意外なきっかけ。家族のほころびは何気ない積み重ねにあるという事なのです。きっかけを作るのも大変かもしれませんが、続けていく事も決して楽ではありません。でも、そこに幸せな生活があるのは確かなことなのでしょう。

しかしまぁ、一番すごいのは、人を幸せへと導く不思議な曲を歌っている、あのストリートミュージシャンなのかもしれない……