むっしゅたいやき

ライトハウスのむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

ライトハウス(2019年製作の映画)
3.8
鑑賞記録。

ロバート・エガース。
私が「鑑賞記録」とだけ記載する作品は、好みに合わなかったか、語るべき点が見当たらなかった作品である。
“どんな作品にも、其れが好みの方は居るものだ”、と考えている為、批判的な指摘や嫌味をレビューせぬ様に然うしている。
本作はこの内、前者の例となるが、『信用出来ない語り手』作品がそもそも個人的嗜好に合わない、と、先ず言い訳しておく。

扨、本作は何て事は無いストーリーを、鬼気迫る程の名演と、前述の『信用出来ない語り手』の構造で、我々に確たる事実を明示せず、“覚束なさ”を与える作品である。
ショットの構図、迫力や、ウィレム・デフォーやパティンソンの名演に関しては、他のレビュアー様に譲る。

一体に、映画作品を鑑賞する際、我々は自身の見聞きし、認知する世界の「常識」に拠って其の作品の真意を探る。
本作を精神科医が見れば、「分離症患者」の譫妄状態での妄想、と片付けるであろうし、其れを拡大解釈して『隔絶した絶海の孤島』=『社会から孤立した自己』、『権威的な上司』=『社会規範』、『新人』=『素の心象・反抗心』、『クリスタル』=『行動』と当て嵌め、「本作は人間の内面を画いた作品」「人が社会規範に順応、又は選択するプロセスを画いた」と云う解釈も可能であろう。
個々人の主張が皆等しく尊重されるのが映画作品の良さでも有ろう。

個人的な話しになるが、自身の嗜好として矢張り映画作品には、映画内での事実を画いて欲しい。
『信用出来ない語り手』作品特有の、足元のあやふやな、妙な浮遊感を覚える作品は、私の生きる現実世界をも「自己の認知している世界」は、「他人が認知をしている世界」と等しいのか、と云った懐疑を催す。
其れがロバート・エガースの狙いで在ったとしても、本作内で台詞として語られ、明示される事に因って此の疑義を強制される点に、其れこそデフォーの様に、拒否感を禁じ得ない。

シューシポスやオイディプスのメタファーに関しても稍唐突で、「何故この展開、このシーンで」と云った必要性が感じらず、寧ろ此等メタファーを提示したいが故に構成を組んだのか、と疑わしくもなる。

辛口となってしまったが、以上の理由に拠って、此のスコアとしている。
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