バス行っちゃった

チワワちゃんのバス行っちゃったのネタバレレビュー・内容・結末

チワワちゃん(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

結論から言えば心には刺さらなかったんだけど、こういうのが刺さらなくなった自分に軽く失望もしていて、まあ尿の切れも悪くなってきているしなあなどと誰にしているのかわからない言い訳を思い浮かべながらなんとなく着地点を探しているような有様で。ええ。

デコりまくりのしゃれおつ映像でもって昔から変わることのない若者の薄っぺらさや愛され中毒にまつわるあれこれが描写されていくので、はかなさ込みの浅はかさ表現として素晴らしいなとは思ったし、たとえば山田詠美だったり初期の村上龍だったりにはじめて触れたときのような異世界の感をこの表現から受け取ることができる人たちもいるのかもなあなどとも感じはしたのだけれども。

そこからずっとお話としてメリハリがないというのは作品のメッセージにもかかわることなのでいいとして、映像的にも、少しトーンを落として語るところがあったと思ったらまたピーキーな描写がはじまったりして、トータルするとほぼ平坦路に見えてしまった感じがちょっとあって、まあこれはまだ何者でもないということによって担保された開かれている風の未来像というものの実は退屈な面というのの表現なのかもしれずなので否定したくはないものの、でもちょっと効果てきめんに過ぎたというか、なるほど慣れてしまった元刺激ほど倦怠感を誘うものはないということがよおくわかっていやなかなかだるかったっす、みたいな。

最後の追悼にしても主人公たちがどのような試練を経て何者かになるに至ったのかがいまいちつかめず、またつかませないことこそがキモだったのかしらんとも思うのだけれども、ならば最後はチワワの疾走だけを見せて欲しかったのに主人公の笑みまで映してしまったものだから、音楽とあいまって、方向性がそこにだけ押し流されていってしまったような感があって、爆発したものがきれいに収束していくような娯楽作ならまだしも、飛散したものがこびりついてずっとかすかな跡が残ってしまうといった類の内容で、だからこそ盛りに盛った映像でもってニュアンスを積み重ねてきたのではなかったのかと、そこもちょっとがっかりで。

まあでも、全然、見て損したとかではないので、ええ、所詮尿も思うに任せられなくなってきたやつが言っていることで、ええ。