ぐるぐるシュルツ

バーニング 劇場版のぐるぐるシュルツのレビュー・感想・評価

バーニング 劇場版(2018年製作の映画)
4.0
「ないこと」を忘れればいい。
そうすればそこにいる。ある。
それでも僕は「あること」をないことにしてしまう。燃やしてしまう。

〜〜〜

村上春樹の『納屋を焼く』という短編を基に作られた韓国のサスペンスの映画。
ベースの音とアフリカ民謡を混ぜたような劇中曲が強烈。

冒頭にヒロイン・ヘミがパントマイムで示したように、
「ないこと」と「あること」が全編で何度も問い直されます。

例えば井戸の記憶、ヘミの存在、猫、母の存在、相手不在の電話。
これらの「あったけど今はないこと」を
確かめようと他人をあたる主人公ジョンスだけれど、
それは各人の中で常に揺らいでいることを知ります。
なぜなら自然や時間という強大な「力」が、
全てをなかったことにしまうから。
そして、その「力」を人為的に行使するのがベンです。
その虚構的で贅沢な暮らしぶり、あった村をなくしてしまう人工ダム、虚実をはぐらかす大麻、そしてビニールハウスを焼くこと。
これらのメタファーで描かれる「力」は、
恐ろしいと同時に少し惹かれてしまう危険な魅力もあります。

一方で
ジョンスは小説によって、
ヘミはパントマイムによって、
「ないけどあること」にする道具・武器を持っている。
二人はそれぞれのやり方で、自然や時間の強大な力に必死で対抗しようとする。
ジョンスは、母の衣服を焼いた(母をいなかったことにする行為)過去や、ヘミが消えたことに抗うとする。
ヘミは、あるかわからない人生の意味を追い求めるグレートハンガーに共感し、自分の存在を消してしまいそうな夕日に涙する。そして全身で踊る。
それでもヘミは消えてしまう。

再び母を見つけて、
井戸の存在の証を確かめたジョンスであっても、
どうしても創作嘆願書で父も救えないし、ヘミも見つかられない。
そして、最後にジョンスがとった行動は、
悲しくも「なかったことにする」ということ。
ジョンスは強大な力に立ち向かうためには、
強大な力を使うしかなかったのです。

圧巻なのは、やっぱり夕景を背に、
ヘミが踊りだす場面でした。
大麻の偽りの喜びの中、
鳩を生み出し、
踊ってグレートハンガーになろうとするヘミ、
それすら消そうとする夕日、
そんな姿を眺めるジョンス、
それを笑うベン。
全てがワンシーン・ワンカットに詰まっていて、儚くも強い、恐ろしくも美しい光景を生み出している。

村上春樹愛読者と自覚しているけれど、はるか昔に読んだために、
原作のストーリーとかはほぼ忘れていました。
ただ今回映像表現や役者の演技に圧倒されるのと同時に、
作品のもつテーマ性に改めて心動かされました。
割と敬遠されがちな村上春樹の作品ですが、
こうした理不尽な「強大な力」をよく描いています。
それに無残にも翻弄され、叩きのめされ、打ち消されてしまう、小さくて脆い人々の様子を描きだすのが印象的な作家さんです。
でも、僕が一番好きなのは、
その「力」にそれでも抗って、立ち向かって、守ろうとする小さくても力強い人間の希望や意思も同時に描くところです。
彼自身も「小説」という武器を用いて、
訴えかけているのです。
僕ら一人一人も勝てるかはわからないけれど、
勝つこと自体がいいことなのかわからないけれど、
それでもその「力」に立ち向かう武器を持っていると気づかせてくれるのです。

今度再読してみようと思います。